書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

頭おかしなった と言われたい

年を取ると涙脆くなる。知識として伝聞としては勿論知っていたけど、キレるとスパナをほおり投げてきた先輩が、初孫の話をしながらホロっと涙を流すのを見て、こういうことなのかと。あの鬼のような先輩はどこに行ったんだと、頭おかしなったんやろか?と。そしてスパナを投げたことは無いけど、俺も後輩とか昔を知る人から見たら、順当に「あの人は頭おかしなった」と思われているのかもしれない。

このあたりの変化に対して、「丸くなった」という表現もあるけど、そもそも尖ったことなんてない。今も昔も小物だし、露払いや殿、腰巾着な人生だったけど、そんな人間でも、ちゃんとおかしくなってる。涙脆くなってる。

歳を取るにつれて、記憶のHDDの中身が増えていく。記憶同士の掛け合わせのパターンも増えていく。誰かの何かは、自分の記憶の中の何かに重ねやすい。重ならなくとも、想像をつけやすい。誰かの何かを、「知らぬ、わからぬ」で切り捨てるより、自分に重ねやすく、置き換えやすくなっている。若い時に「あほくさ」と思ったことに対しても、「なんかわかるよ 俺もあったよ、そうだよな」って思えるようになってきたし、更に年を重ねたら、そこに涙がONされるんだから、人生中々奥深い。

生きてきた、歳を取ってきた相応に、それなりに想い出が積み重なり、他の誰かの何かに共感できるようになってきている。共感性が無いとなじられることも多かったけど、ここ10年ぐらいでそれは減り、今ではほぼ言われない。涙脆くなるのは、順当に経験を重ねている証拠なのかと思う。


歳を重ねると、共感性が自然に上がっていく。その人の今の立場や、主張したい言葉、行動に共感できる。それも分析した上ではなく自然に深く。
歳を重ねるに従って、世の中や人に対する見え方が変わっていく。時と共に変わらない、絶対の見方なんて無いんだなと気が付く。中年も後半戦に突入しかけて、じじいに「お」が付くような歳になっていって更にそれが進む。

人間の深みが増すってこういう事なんだと思う。歳を取るのも、こういう良いことがあったりする。いい歳を重ねるとは、共感性を増していく生き方と重なるんだろう。


安心してさらに歳を取っていこう。