書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

尊敬する人へ乗っかる事

ある人が、自分では思いつかないアイデアや、共感できる意見、考えを説いているのを見聞きして、その説かれているものを支持する。何度かそう言う事が重なると、支持するに至るものを引き出す、その人の個性が好きになる。更にそれが進むと、その人を尊敬するようになる。

尊敬出来る人に巡り合えた事は素敵な事だし、感謝もする。ただ、一旦尊敬すると、尊敬するに至った事とは無関係な事に対する意見や考えに関しても、盲目的に支持してしまいやすい。それが極端すぎるのが宗教だと思うし、流石にそこまで行かずとも、尊敬している人の言う事は無条件で受け入れやすく、それを自分の意見や考えとしやすい。

意見や考え方に共感できることが多いのと、全てに共感してしまうは全然違う。

これに関しては、あの人の考えや意見を支持するし、共感もするし、尊敬する。但しこの部分は同意できない。書くと簡単だけど、これが難しい。

油断してると、都度自分で考えて判断する事をサボっている。尊敬する人が言うのだからそうなのだろうと、自分で判断をする前に、同じ意見に従っている。素晴らしい意見や共感を認めたからこその結果、その人を尊敬しているになるはずが、尊敬しているから、同じ意見で共感すべきとなっている。

もっと言うと、尊敬する人とは違う意見が出る事を恐れてすらいる。違う意見が出る自分が、共感できない自分がおかしいのかなと思ってしまうし、尊敬するに至った今迄が間違っていたかのように思ってしまう。

 

毎回毎回、自分で一から考えるのも疲れてしまうし、尊敬する人に乗っかる事の全てが悪い事とも思わない。今後もそれほど興味の無い事や問題に関しては、そうしていくんだと思う。

ただ、乗っかってしまっているという事は忘れずにいたい。本当は自分の価値観から大きくズレていて、突き進んだらマズい事になる様な時には、ダメージを受ける前や、取り返しのつかなくなる前に、その違和感に気が付ける位の意識は持っておきたい。

 

どれだけ尊敬する人も自分とは違う別人。立場も趣味嗜好も違うし、これから受ける刺激やそこから得る価値観も違う。

寧ろ影響が残る事を意識して、尊敬する人の意見や共感はわざと疑ってみる、マイナスから入るぐらいが、ちょうどいいのかもしれない。