書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

ピンを潰せ

東京に行くと何時も顔を出す、お気に入りのお店が、「店の近辺が再開発エリアとして決定した 何時迄同じ場所で店をやれるかわからない」と、Twitterで呟いていた。丁度先々月、同じように大切にしていたお店が、惜しまれつつ閉店したことも重なって、想い出のお店が無くなっていくなと、何とも切ない気持ちに。

どちらのお店も、場所を変えてまたやるとハッキリ名言してくれているので、そのお店の文化は、ちゃんとこれからも残ってゆく。ありがたく、安心もしているけど、それでもそのお店のある街の雰囲気や文化、建物や店内の作り込みも含めて好きだったし、それがそのお店のイメージとして染みついてもいるので、やはり時が来れば、そのお店は自分の中では一旦は終わり。そのお店は、自分の中で死んでしまうんだろう。

好きなお店、馴染みのお店はずっとそこにあると思っているし、これから先も続いていくと信じているけど、冷静に考えたらそれはただの願望でしかない。商売である以上、経済的に割に合わなければ当然閉めるだろうし、特別な人気店で、店主も薄利でも続けていく事を望んでいたとしても、やっぱり金に関してはシビアな話であり、そう簡単な事でもないように思う。何なら経済的に潤っていても、先のお店のように、どうしようもない、行政などの公共の状況で畳まざるを得ない場合だってある。

 

今思うと、都合よく考えすぎていた。自分だって歳を取ってる以上、世の中も回りも歳を取っている。自分が求めるものだけ、勝手に求めている状態で止まっている訳ではなくて、お店も場所も歳を取っていってる。見えないだけで、お店として寿命を迎えているかもしれない。ある日突然終わるかもしれない。なんなら、此方が終わりに気が付かない間に、亡くなっているかもしれない。

好きなお店、馴染みのお店は出来るだけ行っておくべきだし、まだ行っていないお店、何時か行こうと思っているお店も、本気でそう思っているのなら、出来るだけ早く行くべきだ。Googleマップで「行ってみたい」のピンを刺して、それで満足していたら駄目、何時か行こうと思っていても、その何時かが本当に来るのかわからないし、何時かが来ても、ピンに着いたら更地になっているかもしれない。刺したピンは、出来るだけ早くに潰さないと。

 

何時までも、あると思うな親と金

と、大事なお店。