一個人としての、人としての善悪の感覚と、仕事上の善悪の感覚ってちょっと違う。
「法律」「倫理観」「フェアで対等」は、プライベートだろうが仕事だろうがどちらも同じ。でもその先にある善悪の感覚は、仕事とプライベートでちょっと違う。
違う方が良いと思う。プライベートの善悪の感覚を仕事に持ち込んでも駄目だし、逆もそう。
そうすることで、プライベートと仕事を分けることが出来る。違う事を理解し、尊重しているからこそ、仕事もプライベートも上手くいくと思っている。それが正しく、あるべき姿だとも思う
善悪の輪は二つで両輪なもの。大きな一つの輪にならない。する必要もなく、するのは悪手。それが根にあるからこそ、仕事ではプライベートに関係無くマシーンになれたし、仕事の基準とはまた別で、自由でわがままで、いい加減な私生活を持つ人でもいられた。
ここ数日、仕事において、特別な事情で追い込まれることになった。その時、当たり前にできると思っていた、仕事とプライベートを分けるという事ができなかった。
組織の問題であり、人としての俺がミスをしたわけではないのに、一個人、人としてのそれ、プライベートの俺の中にある善悪の基準が、仕事の俺の中に出張してきた。一個人の罪悪感が、仕事の行動に影響を与えまくった。
何時もなら、最上位に俯瞰して見ている自分がいて、何をして、どう身振り手振りを入れ、何を言っているのか理解しながら、コントロールしながら動いている自分がいる。でも今回はそうはいかなかった。
普段、仕事上ではマシーンなので、法的に倫理的にフェアな対応をしていれば問題なかった。ただただ、事実とその状況によって、相手と此方、話を進めればいい事であった。
でも、個人的に持っている罪悪感が邪魔をして、自分で自分をコントロールできなくなっていた。
俯瞰どころか、汗をかきながら必死でしゃべり、身振り手ぶりを交えていた。自分で何を言い、どう見えているのかすらわからなかった。何をどう言ったのか、どんなゼスチャーを交えたのか、記憶があやふやでわからない。
同席した上司に素直にそれを伝え、客観的に見てどうでしたか?と聞いたぐらい。全く問題なく、上手く収めてくれたと言われて、初めて安心できた。
それでもその時、本当に上手く収めれたのか、何処か心配でもある。
あの時、善悪の感覚が重なってしまったせいで、仕事とプライベートを分けることが出来なかった。言葉を変えれば、全力で必死で、一切の余裕もなく、仕事人として、組織に所属する一社員としての発言と行動ではなく、一個人、俺としての罪悪感からの、発言と対応をしていた。
仕事として、プロとしてどうなんだろうか。
一個人としての罪悪感を交えて話をしてしまったことに、また違う意味で罪悪感を覚える。
そんな自分をどうなのかなと思ったし、プロとして失格ではとも思ったけど、愚痴を吐いた人から、「そういう風に思えるお前だから、お客様に信頼されるんだ」と言ってもらえて救われた。
善悪は、プライベートだろうが仕事だろうが一つにした方がいいのか、分けない方がいいのか、迷ってしまった。
結論は出ない。