困っているのを見た時、助けを求められた時、自分がその人ならどうするか考える。「こうしたらいいんじゃない」と、自分の思う最適な動き方を考え抜くも、思いが強い人、大切にしたい人へのそれは、上手くいかない時が多い。半面、関係性が薄い人、ハッキリ言ってどうでもいい人へのそれは、上手くいく時が多い。何とかしたいと思う人程、力になるのは難しく、どうあろうと、知ったこっちゃない人程、力になりやすい。
大切にしたい人程、その人の立場に全力で飛び込んだつもりだったのに、気が付いたら、気持ちと価値観のロールプレイができなくなっている。その人の気持ちと価値観では無い、自分の考えと価値観からの、ベストな行動を探している。思いが強いほど、自然にそう見てしまっている。相手と自分を同一視している。
人は違うのに。
拒絶されて、それに気が付くのはまだいい。その人との関係性によっては、従わせるような圧さえ感じさせてしまっているかもしれない。
それって、溺れているからといって、飛び込んで一緒になって溺れるようなもの。冷静に距離を取り、岸からロープを投げる方が有効なのはわかっている。でも大切な人程、我を忘れて、水の中に飛び込んでしまう。一緒に溺れる方が、その人の事を考えているとさえ、無意識に思っていたかもしれない。大切だから、思いが強いからは言い訳であり、ただの自己満足でしかなかった。
思いが強い人、大切にしたい人程、力になるのが難しいのは皮肉でしかない。それを理解しつつも、力になりたいと思い続ける自分でいたい。溺れている人を見て、飛び込まない勇気を持ちたい。少なくとも力になりたいと思う資格を持つのは、その勇気を持ってから。
誰かの力になるって、そんな簡単な事じゃない。今更気が付く。