書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

こうした方がいいよ、ああした方がいいよ

若い人に、「こうした方がいいよ、ああした方がいいよ」って、たまに言う。こうした方がいい、ああした方がいいが、年の差やポジションを意識させた圧力にならないようには注意するし、こうした方がいい、ああした方がいいという直接的な言葉ではなく、また違う言葉で表現する時もある。そうやって、それなりに気を使いながらも、たまに言う。

でも大抵それは流される。人徳が無いせいもあるけど、そもそもそういった上からの要らぬおせっかいなんて、ウザすぎて聞く気になれないんだろう。俺が若い時も同じだったから、本当によくわかる。あからさまに不愉快な態度で返していた俺と比べて、今の若い人は優しく賢いから、表向きは爽やかに肯定的に受け入れてくれる。でも行動や発言に反映されないから、本当のところでは受け入れていない。でもそれでいいとも思う。

 

年齢を重ね、それなりの成功も失敗も繰り返してきて、その時初めて「あの時言われたことの意味はこういう事だったのか」と腹落ちすることがある。何度も言われていたことで、都度却下していたことが、それなりに正解だったという事に気が付く。自分にとっては正解で無かったとしても、また別の正解の可能性があった、少なくとも間違ってはいなかったと気が付く。

骨身に染み込ませながら長年経験していくものは、自分がリアルに体験しないとわからない。若い時にそれを言葉で聞かされても、受けいれるのは難しい。どうしても埋められない歳と経験の差、そして発する方の語彙の限界と、受ける方の読解力の未熟さで、言葉では伝わらない。

 

真面目で、向上心のある人なら、自分で考えて発言や選択や行動を決めていく。その時に立場も年齢も違う人から言われることが、自分の正義とストレートに重なる可能性の方が少ない。年上のいう事を盲目的に受け入れて、大して考えず、発言や行動に繋げる人間なら違うのかもしれないけど、そんな人間に、年上側も何かを言おうとは思わない。真面目で頑張って、成長しようと思っている若手の人だからこそ、何かを伝えたい。伝えたい人だからこそ届かない。

 

歳を取ると、そういうことがなんとなく見えてくる。若い時の俺にそう言ったことを発してくれた人も、どこか伝わらないと分かった上で、ウザがられるのを百も承知で投げかけてくれていたんだろう。そこには優しさがあったんだと、同じ立場になり、今更気が付く。ありがたかった。

 

だから若い人にこうした方がいいよ、ああしたほうがいいよという事が、無駄なこととは思わない。声をかけてくれた年上の人間に、自分は大事に応援されていたということに何時か気が付ける。それって歳を取ってからもらえる、ボーナスのようなものなのかもしれない。

 

 

 

あの時、色々言葉を頂いた年上の皆さん、その節はありがとうございました。当時、失礼な態度を取ってすみませんでした。でも歳を取らないと、そのありがたさがわからなかったんです。同じぐらいの歳になって、ようやくわかったんです。