書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

4,5分頭に浮かぶこと

あまり後悔をしなくなってきたけど、だからといって希望が全て叶えられているという訳でもない。上手くいかないことに対して、「まぁしょうがないかな」という諦めを、割と冷静に受け入れるようになってきただけ。

若い時分は叶わないことをどうしても受け入れることができず、あがらい、違う方向へ突き進むパワーに勝手に変わっていった。変えたじゃなくて、勝手に変わっていた。そうやって、違う何かで達成感を得られたり、叶わぬことを忘れたりもできたけど、年を重ねていくたびに、勝手に変わらなくなったし、その内変えようともしなくなった。良くも悪くも諦めがよくなったということか。違う方向にいったパワーがとんでもない方向に暴走して、また何か後悔する原因を作ってしまうこともあったので、今は今で丁度いいんだと思う。

 

とはいえ、あの時希望が叶っていたら、どうなっていたかなと思うことはある。物とかお金とかそういうことは浮かばないけど、人との付き合い、関係でそう思うことがある。ひょっとしたら、あの方はメンターになっていたかもしれないし、彼とは今も友人だったかもしれないし、あの人と同じ人生を歩んでいたかもしれない。そういうことが、極たまにだけど頭に浮かんで、4,5分考えたりしてしまう。

そしてそんな4,5分が悪いとも思わない。じゃあ叶わなかったからこそ、今はどう生きるのか、どうやればそれが叶った生き方と同じ満足を得られるのかということを、どこか頭の片隅に置きながら生きていることを再確認させてくれる。起きてることを受け入れながらも、それなりに真面目に生きていることを確認させてくれる。叶わなかったことに対するコンプレックスを、ごまかしながら生きてるんじゃないのかと思いがちだけど、そうじゃない自分を確認できている、たった4,5分だけど、極たまに頭に浮かぶこの時間のおかげで、今の人生を肯定出来ている。

 

歳をとれば、上手く叶わなかったことに対して向き合え、それを良い方向に活かせるようになっていく。反抗反逆の爆発的なパワーを、若い時の叶わなかったことは与えてくれるけど、年をとってからの叶わなかったことに対する想いは、そうやって全てをプラスにしてくれる。

 

なんかそう信じて生きていけたら、もっと幸せになれんじゃないかなと思う。