書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

衝動とタイミングと金について

昨日ラジコンカーを買った。お値段4万円。ラジコンに対してどう思われるかはさておき、40代の中年のおっさんが、何か好きな物や趣味に対して使う金額としては、そんなに高額とも思えない。何だったら飽きてしまうかもしれないけど、その時は勉強代と損切りもできる金額、それが今の4万円。

 

丁度ラジコンに一番ハマってた中学生の時、同じ4万円前後のラジコンを買った時の事を思い出した。中学生にとっての4万円って、とても大金、ほぼ全財産。それこそお小遣いを貯めに貯めて、全て吐き出すというような感じ。買った時は人生バラ色、夢が叶った、一生はオーバーだろうけど、大人になっても、この「愛車」と共に人生生きていくとまで思ったぐらい。当時の狂喜乱舞ぶりは今でも覚えてる。

 

今もラジコンを楽しもうと思ってるし、今回買ったラジコンも、以前とはまた違う価値観で接することが出来るんだろうけど、中学生の時と同じような熱さでは楽しめない。

 

物や経験って、それを手に入れる、体験するなら、一番効果的なタイミングというのがある。一番影響を与え、後の人生にも強い影響を与えるベストなタイミングがある。

 

でも、その衝動が一番大きい時に、色々あってその決断に踏み切れない時がある。というか、その時に踏み切れる方が稀。タイミングを待ったり、待たされることが多い。

勉強が忙しかったり、仕事に邁進してる時だったり、他に人生をかけるべきことに集中している時だったり、家族が出来たり、その他色々。その衝動が高まったタイミングなのに、難しい時がある。

そしてその難しい原因が金銭的な時の事も多い。その衝動を出来るだけ維持しつつ、お金を貯めたり、経済的に豊かになる時期を待つのが一般的だろうし、模範的とも言える。

 

でもそれって本当に正解なんだろうか。その一番効果的、一番自分にインパクトを与えるタイミングを逃してまで待つことが、本当に正解なんだろうか。

時間をかけて、念願かなって手に入れた時、経験した時、「あれ?」って内心思ったりしないんだろうか。そのタイミングを逃した先に、それを楽しめる精神的若さ、肉体的な若さ、意欲がそのまま待ってくれているんだろうか。

 

例えば、何処か海外に旅行に行きたかったとして、それが気軽にできるほど、経済的に豊かになるのを待っていたら、年老いてそもそもの移動が苦痛に感じられたり、旅行先のアクティビティを楽しめなかったりするかもしれない。

個人的には、将来乗りたいバイクや車があるんだけど、若い時と比べて間違いなく動体視力が落ちている。余裕で買えるのを待っていたら、叶う時には満足に動かせない可能性が高い。

 

時期を待つ間に、より思いが強くなって、叶った時に満たされることが大きくなったり、考えが変わったりする事もあるので、時間をかけて考えることが全て悪い事とは思わない。そして、衝動に苛まれて旺盛に浪費しようとか、進んで借金しようとも思わない。

 

でも、多少無理してでも、背伸びしてでも、時には借金をしてでも、人生においてそのタイミングで手にしておくこと、経験しておくべき事はあると思う。

 

あの時、ラジコンを買っていてよかった。