書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

人に会うコスト

誰かに会いたいと言われた時、立場上どうしてもNoと言えない時は別として、その人に会う「コスト」を意識して、会うか会わないか決める。

 

お金や時間は勿論だけど、それはあまり気にしない。一旦会うと決めたら、その二つは別にたいしたことじゃない。仮に頼まれごとのお願いであっても、ギブするのが嫌という訳でもない。付き合っていて気持ちのいい人や、過去に借りがある人なら、100%ギブの機会になろうが喜んで会う。

会う会わないは、それによって報われようが報われまいが、直接的に自分に何か利があろうがなかろうがは関係ない、金銭的に損するのが確実であっても関係ない。

 

人に会う事で、自分の気持ちや感情が揺さぶられ、何かをもらって何かを与える。無味乾燥な人生は嫌なので、幸福感や満足感や沸き立つ感情みたいな、生きるにあたって、日々楽しい人生になるものを与えてくれる相手なのか、同時に此方が同じものを与えることができる相手なのかを考える。その度合いが、その人に会うコストになる。

他の人にはその価値のある人でも、自分には違ったりもする。世の中で評判が悪い人であろうとも、自分にとって会う価値のある人には「コスト」を払って会う。大事なのは、自分にとってその会いたい相手、会いたいと言ってくれている人はどうなのか。会うにあたってのコストはどれぐらい?会う事はコストに見合う? なら会いたい。

会いたい人、会いたいと言ってくれる人の中には、他の予定をキャンセルしてでも、無条件に会いたい人もいれば、どれだけ会ってくれと言われても、何かと理由をつけてかわす人もいる。殆どの人はその間で、それがその人に会うコストの高い低いに繋がっている。そこをちゃんと見極めたい。

勿論、相手からも会うコストを見られている。そこは対称ではないだろうし、此方が会いたいと思っても拒否される時もある。寧ろ、なあなあで会ってもらって、後で嫌な思いをされる位なら、きっぱり拒否してもらった方がいい。

 

人に会うコストを見ておくこと、そこを意識しておくことは、その人と付き合っていく価値があるのかに繋がっていく。生き方の問題。自分の気持ちや感情を掛けるべき相手なのか。そこを注意して見ておかないと、なんか違うなと思う生き方になる。

 

端から見て、ただ酒飲んでるだけでしょとか、一緒にゲームやってるだけでしょとか思われるかもしれないけど、やっぱりお互いそういうのがあって会ってるのよ。大人なので。