書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

風景にして生きていく

嫌な過去は忘れてしまえとよく言われる。忘れたい過去は幾つもあるけど、本当に忘れていいものなのかと。良い過去だけじゃなく、悪い過去も含めた結果、今の自分が出来ているのなら、悪い過去を忘れてしまう、無かった事にするっていうのはどうなのかと。そこだけを切り取って捨てるって、ちょっと都合よすぎないかと。少しキツ目に言うとそれは卑怯なんじゃないかと。他人へじゃなく自分自身への話。今の自分で堂々と生きていきたいのなら、自分の言わば出自を自らに隠すようなことは、ちょっとどうなのかと。

 

勿論、終わって巻き戻せない過去を後悔したり、あれやこれや一人頭の中でこねくり回し続けるのも違う。後悔し続けるのがいい筈なんてないし、意味もない。終わった過去に意識を囚われるべきじゃない。ただその嫌な過去すら込みで、今の自分が立っていることを忘れず刻んでおきたい。

 

そのために、もう消してしまいたい、無かったことにしたい過去は、これから生きる人生の中の風景にしてしまいたい。背景じゃなく風景。背景だと覆いかぶさってくる。だから風景でいい。後ろにあるんじゃなくて、視界にチラっと自然に入る感じ。そんな風景にする。

風景にしたら消えないけど触れない。風景からこちらを触ってくることもない。風景として存在するけど、今の自分に影響は与えない。後ろにあるだけ。ただ目には入るので、捨ててもいない。その過去もあっての今の人生、今もそれ込みで生きているし、これからも背負ってもいく。そういう覚悟として風景にしてしまいたい。人生を俯瞰して大きな画として見てみたら、そんな消してしまいたい過去も、そのうち良い図柄になっているのかもしれない。


風景にしてしまえば多分うまくいく。

まあ、その風景にもっていくまで、いろいろあるんだけども。