書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

小走りで詰めるような生き方

ある自治体の首長が、コロナ禍の今、生徒の安全性と教育の進捗に関し、「同じものさしで計れない」という言葉を使って、オンライン授業を近隣自治体に先駆けて導入したというニュースを見た。生徒の安全性と教育の遅れに対する懸念に対して、「二者択一でどちらかを取りどちらかを止める次元ではない、どっちも諦めるべきではない、だからどちらもやる」という意味合いで使ったこの言葉が、妙に今の自分に刺さった。

 

何かを成したいと思って、全力でそれに対して力を注ぐ。何かを得たいと思って、全力でそれに対して力を注ぐ。確実にそれらを手に入れるために、アクシデントに備え、バックアップも取れるよう余裕を持つ。それ自体は素晴らしいと思うけど、その余裕をどれだけ取るのか、今一度考えたいと思った。

 

何かを成したい、何かを得たいと力を注ぐのは、意志力と時間を大きく使う。その想いの大きさに合わせて大きくなる。他のことがやれたかもしれない意志力と時間も、そちらに注ぐ。結果、興味があってもやらないと決める事も出てくる。良くて、記憶の片隅に置いておき、最悪綺麗さっぱり諦める。

 

やらないと決めたことの中には、本当にやらなくて良かったと思えることもあれば、断腸の思いで諦めたこともたくさんある。ひょっとしてその諦めたことの中には、同じ物差しで計るべきでは無かったことがあるかもしれない。同じ物差しで計れない事を計って、無理やり「短い」と判断した方を捨てたこともあったかもしれない。

 

過去を思えば、多少無理をしてもやれば良かったんじゃないかなと思う事がある。その時はやりたかった事に集中し、余裕なんか無かったと思ったけど、小走りでこなしていればやれたかもしれない。少し詰めたらやれたかもしれない。

 

小走りで詰めていくと、自分のキャパが増えていく。今年小走りで詰めたことが、来年は今年よりも楽にできるかもしれない。来年は今年の労力の99%でできるかもしれない。1%の余力を生むのは詰めて成長した結果。もしそれが2%なら、36年後には今の小走りで詰めた生き方で得る充実度の、倍の充実度を持つ人生を歩めているという事になる。

そんな計算通り簡単にはいかないだろうし、成長の幅がどれぐらいかなんてわからないけど、小走りで詰めて走る事に、意味が無いとは思わない。

 

40後半、人生あと50年あると言えるけど、あと50年しかないとも言える。なら、もっともっと欲張って、楽しいことをたくさんしたい。その結果もっともっと幸せになりたい。

 

人の価値観はそれぞれ。今の世の中、ゆっくりのんびりがどちらかといえば、推奨されている世の中だし、それも悪くない。余裕をもって時間を生きる人生も素敵。

でも自分には、小走りで詰めるような生き方が合ってるのかもしれない。

 

ピッチを上げていこう。