書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

後悔を認める

人間関係で大きな失敗をしたと感じた事があった。

結局は勘違いだったという事に落ち着いたけど、ひょっとしたら相手の人の優しさで、そういう事にしてくれたのかもしれない。だから今でも本当の所は分からない。

 

やりきった、自分でも生き切ったと納得し、満足した人生を歩むことが目標。そうする中で、失敗したり、叶わなかったとしても、掛けたリスクを承知した上でのことなら、残念だけどしょうがないとも思えていた。

なので、今回踏み出して失敗した自分に対して責める気持ちは一切無いし、その点では割り切れてもいた。今回の大きな失敗も、後悔なく受け入れようと思っていた。

 

でもやっぱり、失敗した、叶わなかったという事に対して、後悔をしないと駄目なのかもしれない。失敗した、叶わなかったという、現実に起きた事に対して後悔をしない事は、逃げなんじゃないか。後悔するからこその気付きや、新しい考え方の気付きもある筈。次にこうしたらいいとか、そういう事じゃなく、もっと大きな意味で、後悔が学びの機会を与えてくれるように思う。それを無駄にしたらダメなんじゃないか。

 

自分を含む、誰かを攻める気持ちは無いにしても、悔いが無い、後悔なんか無いとバッサリ言い切るのはやっぱり嘘だ。

後悔をすることは、生き切ったと思える人生とは両立しないと思っていた事も、間違いだったように思う。

 

後悔はしたくない。後悔しないよう生きたい。

でもだからこそ、時に後悔はしないといけない。その上で後悔を受け入れる。

 

失敗したと、叶わなかったと真正面からハッキリと後悔する。後悔して後悔して、うんと後悔する。そして後悔するに至った結果を絶対に忘れない。無かった事には出来ない。

 

後悔を認める事が、失敗と叶わなかった事への最高の供養、学びになると信じる。