書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

だらだら にまみれろ

だらだらって感じが好きで、たまにそれに浸る。

 

だらだらって、自分を統制してる意志力をちょっと緩め、自分を緩く解放させてるような状態。いつも「自分本体」の上にいて、自分本体を鼓舞させてる「俯瞰してる自分」を、下で眺めて動かしてる「自分本体」に入れるような状態。

 

ただ、完全に意志力を消してるわけでもなく、甘やかしつつも横目で見張ってる感じで、いざとなればちゃんと自分を引き締めもできる。何時も自分本体を俯瞰し、鼓舞させてる意志力を監視員とするなら、普段は10人ぐらいが自分本体を見張ってるけど、それを3人ぐらいに減らす感じというか。監視員がいない、又は1人になったら暴走するのでだめ。5人ならだらけれない。監視員は何人がいいのか、その辺の塩梅を探るのに若い時は苦労したけど、今は3人位が俺には丁度いいと、経験で分かった。なので3人の監視員が付いてる状態が、おれにとってのだらだら。制御出来ているだらだら。

 

制御してるだらだらとはいえ、それはとんでもなく怠け者で、基本は怠惰な自分を全開で思い知らせてくれる。だらだらの俺は、カウチソファに寝っ転がって、Tシャツに短パン姿で、ビール片手にYouTube見て、その内寝落ちしたりしてる。

 

でもだらだらする事で、普段走り、走らされてる自分と比較して、こんなダメ人間が根っこであると気が付けるのがいい。だらだらすることが、俺は出来る人間でもスーパーマンでもないと、ちゃんとうぬぼれさせないでいてくれる。いい戒めになっている。

そしてだらだらして素をたまに解放させてあげてる事で、普段のミスったら割と大怪我になるような場面で、だらしなくなることを減らせてるのかとも思う。なのでだらだら出来る時間をちゃんと確保しておく事はとても大事。

 

結局人間なんてごく一部の天才を除き、そんなに差があるようにも思えず、皆同じぐらい勤勉で同じぐらい怠けるものだと思う。だったら人としてまっとうな幸せを得るためには、そのどちらも上手く消費せねばならない。皆言わないだけで、出来る奴ほど、だらだら出来る時間をちゃんと確保してるに違いない。

 

という訳で、だらだらの時間は尊い。だらだらの時間は幸せへの必須科目。だらだらの時間は人生を鮮やかにする。

 

自信を持って、だらだら にまみれろ。