他者を諦め、他者を許すことは、幸せへのコスパがいい。
主体的で自己完結できることに関しては、自分で決め、自分でコントロールもできるので、簡単に諦めないし、許しもしない。でも他人が関わることには、簡単に諦め、簡単に許す。期待と違う発言や行動、その先にある失望や裏切りはあって当たり前。友情や愛情に感動するのは、そうじゃない場合の方が当たり前だから。
誰だって自分の幸せを求め必死で走っているけど、その目線の軸は違う。並走しているつもりでも、見ているものが違えば、望まないものが返ってきても不思議じゃない。当たり前でありそれは正しい。これに不満を持つの間違っている。それでも誰かと組み、誰かと付き合うのは、それ以上にメリットがあるから、時に失望し裏切られても、誰かといる方が幸せだから。
なので諦めざるをえず、許さざるを得ない。諦めざるを得ず、許さざるを得ないのはデフォ。でもそれは悲しいことでもない。
他者への諦めを受け入れる。他者への許しを受け入れる。
求めていたものと違う事に対して、ああだこうだと抵抗し、反抗する事による、意志力の消耗やストレスを考えたら、結局そうすることが幸せの一番の近道だと思う。他者への諦めと他者への許しは、幸せへのコスパがいい。そう意識していれば許せるし、諦めることができる。
少しづつ、生きやすいコツみたいなのが集まってきたような感じ。