書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

何時死んでもいい生き方

何時も見ているYouTuberの方が、新しい動画を上げていた。バイクに乗りながら、たわいもない事を喋る類の人(因みにこの手のジャンルのYouTuberを「モトブロガー」といいます)で、何となく趣味が合い、ファンになっていた。ただ、今回に関しては、サムネの段階から今迄とはちょっと違っていた。「何時も見て頂いている皆様へ」というタイトルで、嫌な予感がした。

 

バイクに関わるモトブロガーが、この手のタイトルで動画を投稿する時は、大抵「バイクを買い替える、バイクを降りる」のどちらか。でもそのどちらとも違った。肝臓がんになったという報告だった。

毎年、健康診断も各種腫瘍マーカー検査もキッチリ受けていたのに、肝臓がんに対する検査だけは受けて無く、別で受けたCTでたまたま見つかったとのこと。明言はされてなかったけど、手術で簡単に取れる大きさでも、数でも無いよう。

そんな状況を伝えてくれた後、「やりたい事は、いつかやろうではなく、今やりましょう 明日があるか、1年後、3年後があるかなんてわからない 生きている今が全て、やろうと思った今日が全て 明日、それは出来ないかもしれない」と言って、動画を結んでいた。

 

言ってる言葉自体は凄くベタ。よく聞くし、色んな人が色んなところで言ってる。やっすい自己啓発本にも絶対書いてある。同じような事を何時も自分に言い聞かせてもいるし、少しはそれに沿った決断や行動が出来ている自負だってあった。

でも、歳も社会的なポジションも家族構成も近く、勝手に親近感を感じていたこのモトブロガーからの告白は圧倒的にリアルで、「本当にそう生き切れているのか?」と、目の前で突きつけられたような気がした。

 

先月、安倍さんが殺された時も感じたけれど、どれだけ偉大であっても、どれだけ多くの人に必要とされていても、どれだけの人に支えられていたとしても、何が原因で、何時死ぬかなんてわからない。本当にわからない。そこから逃げられない以上、その覚悟を持って1日1日生きるしかない。当たり前だと、わかっているよと、奢り切ってさえいる、「1日1日は尊い」という事を、俺は本当は分かっていないんじゃないか。ひょっとしたら、本当の意味でそれを理解するのは、死の直前かも知れない。

 

何時死んでもいい生き方をしたい。何時、何があるかわからないからといって刹那的に生きるというのではなく、俺なりの幸せを真摯に定めて、それに向かって自分の出来る範囲で努力をする毎日を過ごしたい。

叶わない事も多いし、苦しい事も多いけど、その時の自分の幸せを考えて、未来の為に都度幾ばくかの修正もしながら、希望を持って楽しく生きたい。

究極の幸せは、1日を笑って満足に過ごせたと自己満足できて、翌日の朝、希望を持って1日を迎える事が出来るかどうか。そんな人生が幸せな人生だと信じたいし、毎日をそんな1日に出来たらと思う。

 

死の怖さに勝つには、多分それしか無い。