書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

1㎜浮いた

今年から組織の都合で出張が多くなった。下手したら地元の大阪には土日しかおらず、月曜から金曜までずっと出張でホテル住まい。月曜朝から金曜夜まで、車、新幹線、飛行機をフル活用。そんな生活に慣れてきている自分にも驚くけど、基本やっぱりしんどい。幾ら綺麗なホテルに泊まれても、狭く汚くとも書斎の方が万倍も落ち着く。仕事が忙しい忙しくないとはまた別で、「ホーム」のエリア、空間に身を置けるかどうかは随分違う。

今以上、忙しい状況に追い込まれたらちょっと厳しいかもしれない。2度メンタルも身体も壊しているので、自分の限界はこの辺と言うのはちゃんとわかっている。その限界までの余裕はあと1割位かなという、注意して見ておかないといけない位置にいるのもわかっている。

 

今の仕事は楽しいし、好きで今のスタイルで働いてもいる。今こんな状態で仕事をさせざるを得ない、組織の都合も理解している。だから不満がある訳じゃないし、嫌だとも思っていない。ただそれと別で、ここまで働かないといけない理由って何なんだろうと、ちょっと考えてしまった。

 

働くとは、世の中と繋がり、必要とされ、貢献に見合う刺激をもらえる事であり、意志力も時間も大いにかける価値がある。その価値観に従って来たし、それで楽しくもあったし、その価値観は今後も揺らがない。でも別の価値観として、多少の本が読めて、ネットで暇つぶし出来て、月一誰かと呑むことが出来て、カブみたいな小さいやつでもいいから、バイクに乗れたらまあまあ満足かなと。俺はそれだけあれば、最低限とは言え、満足して暮らしていく事が出来るのになとも浮かんだ。

勿論、そんな生活を積極的にしたいという訳ではないんだけど、万が一そんな状況まで落ちたとしても、それはそれで、その理由次第では受け入れるよなと。その受け入れる理由として、今の自分の働き方を天秤にかけたとして、今迄は微動だにしなかったのに、ちょっとだけ なんか浮くかも と思えてしまった。反対側の、「今の働きかたを止める」方に傾きが固定される事は無いんだけど、今迄べったり、下に張り付いていた「今の働き方」側が、少し浮いてしまうんじゃないかと。付いたまま微動だにしないは、もう無いなと。というか1㎜くらいかもしれないけど、浮いた。

 

これから先、天秤の傾きが反対側に行くとはやっぱり思わない。でもまあこの、最低限があればと言うスタイルが頭に浮かんだのは良かった。だからこそ少し浮いた。

1㎜かもしれないけど、少し浮いたのは良かったと思う。