書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

加点な考え

昔から、身体的ハンデキャップを持つ人を見た時の、「かわいそう」と思う気持ちを無くしたかった。そんな気持ちで見ている自分を、なんて嫌な奴なんだと、自分を振り返る度にがっかりしていたし、幻滅していた。認めたくないけど、無意識で彼らを「足らない」人として見ているから、かわいそうと思ってしまうんだろう。

かわいそうという気持ちを持ったままだと、電車で席を譲ったり、視力にハンデキャップがある人を道案内したり、車いすの人の補助をしようとした時なんかに、どうしてもその気持ちが浮かんでくる。結果、手を差し伸べ難くなったり、変な贖罪感すら生まれてしまう。

かわいそうだから力を貸して、同じ立場にしてあげましょう。

そんな上から目線の高慢な気持ちを持っていると、突きつけられるのがとても苦痛だった。

 

ずっとこの意識に違和感を感じながらきたけど、先日、あることがきっかけで、「身体的ハンデキャップはマイナスではなく、身体にハンデが無い俺たちの方は、ちょっと便利に体が動くという、『加点』をされているだけ」と思うようにしたら、その辺の気持ちが薄れていった。

 

元々俺たちは同じ位置に立っていて、ハンデキャップを持つ人が、より生きやすくするために、俺たちとは違う形で「加点」を得られるようにしているんだと捉えたい。周りの人の都度の助けも加点、施設のバリアフリー化や、身体的ハンデキャップがある人に配慮された設備も加点。マイナスを補っているんじゃなくて加点。上手く言葉で説明できないけど、引き上げてあげるじゃなくて、台を渡して乗ってもらうみたいな。かわいそうなあの人達を引き上げて、同じ立ち位置に並ぶという考えなんか、これで浮かばなくなる。

身体的ハンデキャップを持つ人は、足らないのではなく加点されるべきものが無いだけ。足らない、マイナスとは違う。同じ立ち位置で平等で対等。だからかわいそうなんて思うのはおかしいし、思われるのもおかしい。

 

人として生きて存在している時点で、既にお互い平等なんだと、心の芯の部分に持っていたい。平等なもの同士だからこそ、気楽に力を貸して、「加点」な行為ができるような自分になりたい。