書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

他人の庭

ここ4、5年、こういう風になればいいのにな、こういう未来があればいいのになと、思い願っていたことが、そうはならないということが確定した。

目標が叶わないというのとは違う。自分がやれることは何もなく、努力もできない。何もできない事に対する願いを、目標とは言わない。金があればどうにかなることでもないし、誰かに動いてもらって、その願いを引き寄せるということもできない。ただただ自分はその光景を眺めることしかできなかった。

だからと言って、割り切れるものでもなかった。毎日でも無いし、頭の中の大多数でもない、半分でも4分の1でもないけど、それでもそれなりの頭の中の意識を占め続けてきたし、何か関連することが起きれば、時にそれが4分の1や半分、7割8割にもなることもあった。そんな思い願っていたことが叶わないと、昨日知った。

 

他人の庭を見ていたような。その庭が好きで、こういう風になればいいのになと、願うような感じだった。自分の庭ではないので、何か自分で手を加える訳にはいかないし、こうしてくれと言うわけにもいかない。何となく今のまま、時間が過ぎていく庭であって欲しいと思っていたし、変わるのならこうあって欲しいと思い続けていた。その庭が、昨日更地になったのを知った。

 

悲しいでもなく、悔しいでもない。元々自分が何もできない事を百も承知でその庭を好きになったので、覚悟もしていた。そしてその庭に、過度に執着しては駄目だと意識もしていた。なので、更地になったと知って、みっともなく、取り乱すこともなかった。ただ、自分の意識できる心の中に、大きな隙間が空いたような気がした。よく「心にぽっかり穴が空いた」という表現を目にするけど、この表現がここまで自分に当てはまるということも今までなかった。

 

世の中、自分一人だけの力で何かを成したり、何かを得るのは難しく、その時の運や状況、周りの人に、それなりに左右される。それでも程度の差はあれ、自分の力や自分の努力を反映させることが出来ることの方が多い。

でも、稀にその余地が全く無いこともある。自分の影響を少しでも及ぼせることができないことに、意識や意志力を注ぐべきではないんだけど、理屈ではなく、わかっていて心を奪われ、意識を持っていかれることがある。

ただただその成り行きを見守ることしかできないし、自分の望む形か、そうで無いのか関わらず、結果を受け入れるしかない。辛くしんどいだろうけど、受け入れるしかない。それはそれ、致し方ないこと。

 

ただ数少ないながらも、人生そういうことが必ずある。あるからこそ、努力を注ぎ、願いを叶える方向に力を及ぼすことが出来ることに対して、必死で、全力で、悔い無く力を出し尽くそうと思う。及ぼせる割合がどれぐらいであれ、何もできない、目標にすらできないことのやるせなさを知っている以上、そう思わなければ。

 

庭が無くなり更地になり、更地がどうなるのかわからない。

それでも、あの庭はずっとあの庭のまま、俺の中で残り続ける。