ラジコンが好きなんですけど、好きなの忘れてたんです。
それが今迄表に出てくることは無かったんですけど、最近あるきっかけでそれが出てきて、じゃあそれをちょっと育ててやろうと、今は水をやり始めた感じ。
でもやっぱり、無理矢理忘れたものって、本当の意味で忘れられないんですね。「種」は残ってる。というか、当時の自分も忍びなくて、無意識のうちにこの気持ちの「種」を内に取っといたんでしょう。ただそれが25年後にまた出てくるとは当時の私も思わなかったはず、今の私も驚いてるんだから。
自分の内から自然とあふれ出る志向や嗜好は、やっぱり無理矢理に、意識的に変えれるもんじゃないんでしょう。忘れてるだけで、他にも封印してるそれらがあるかもしれない。たまになんでこんな選択するのかなとか、なんでこんな事考えるのかなとかあるけど、その影響じゃないかと思う。ちゃんとそういう反応になる「種」が自分の中にあって、それがポロっと出た結果なだけかもしれない。人生、自分の内にあるものに逆らわず、自然に向き合うのがいいんです。理想の自分があってそれを目指すのはいい。でもそれに固執しすぎて、無理矢理デザインするのは駄目ってことで。
いろんな事情でやりたいことを諦めざるを得なかったり、思ってる事と違う、不本意な事をせざるを得ない人がいるのなら、それは「種」として、今は内にそっととっておきましょうといいたい。「種」は消えない、「種」は残る。必ず何時か咲かせる時が来るから、今は笑ってその時を待ちましょうっていいたい。
まー、ラジコンごときでなに偉そう講釈垂れてるんだって、自分でも思いますけどそんな感じで。