書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

種は残る

ラジコンが好きなんですけど、好きなの忘れてたんです。

 

好きなのを無理矢理忘れようとして、そのうち本当に忘れてた。ずっと忘れていたけど、なんかその好きだという気持ちの「種」は小さいんだけど残ってたという。

それが今迄表に出てくることは無かったんですけど、最近あるきっかけでそれが出てきて、じゃあそれをちょっと育ててやろうと、今は水をやり始めた感じ。

 

無理矢理でも忘れようとした理由は、そのラジコンで世界的に有名な会社の採用試験に、新卒の時に落ちたから。そんなダサい理由でその会社が嫌いになり、好きだったラジコンも忘れるよう努力して、20数年後の今に至るという。

 

でもやっぱり、無理矢理忘れたものって、本当の意味で忘れられないんですね。「種」は残ってる。というか、当時の自分も忍びなくて、無意識のうちにこの気持ちの「種」を内に取っといたんでしょう。ただそれが25年後にまた出てくるとは当時の私も思わなかったはず、今の私も驚いてるんだから。

 

自分の内から自然とあふれ出る志向や嗜好は、やっぱり無理矢理に、意識的に変えれるもんじゃないんでしょう。忘れてるだけで、他にも封印してるそれらがあるかもしれない。たまになんでこんな選択するのかなとか、なんでこんな事考えるのかなとかあるけど、その影響じゃないかと思う。ちゃんとそういう反応になる「種」が自分の中にあって、それがポロっと出た結果なだけかもしれない。人生、自分の内にあるものに逆らわず、自然に向き合うのがいいんです。理想の自分があってそれを目指すのはいい。でもそれに固執しすぎて、無理矢理デザインするのは駄目ってことで。

 

いろんな事情でやりたいことを諦めざるを得なかったり、思ってる事と違う、不本意な事をせざるを得ない人がいるのなら、それは「種」として、今は内にそっととっておきましょうといいたい。「種」は消えない、「種」は残る。必ず何時か咲かせる時が来るから、今は笑ってその時を待ちましょうっていいたい。

 

まー、ラジコンごときでなに偉そう講釈垂れてるんだって、自分でも思いますけどそんな感じで。