書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

あやふやなのはお互い様

自分で自分のことを「俺はこういう人間だ」と理解し、人にそれを表現出来ていると思い、結果、相手に伝わっているとも思っているけど、そうじゃなさそう。相手によって見えている自分は違う。相手によって植え付けている印象は違う。受け手の人毎に違う自分がいる。

意識して表現を変えているつもりなんかないんだけど、相手の人毎に、どう相手を切り取り、受け入れるかが人によって違う。表現して伝えたい事が、相手のアンテナに引っかからなく、伝わらないのはまだマシで、全然違う意図で伝わる時もある。違う意図で伝われば修正も出来るけど、表現の仕方で此方が意図しない所を切り取られ、予想外のところで、此方が想像もしない印象を持たれてしまったりもする。

これだと思っている自分、良いところも悪いところも、みんながそう受け入れてくれていると思いたいけどそうじゃない。自分の本音をさらけ出しても、違う形で受け取られたりする。わかってくれているなんて思うのは、思い上がりも甚だしい。そして自分って、あやふやな存在なんだなと思う。

でも世の中みんなそんなもんで、多分こちらも相手に対して思う事、受け取り方は、相手が見せているつもりの姿とは違うように受け止めているんだろう。だから普段の何気ない関わりの中でも、予想外の反応や投げかけが起こり、そこから想像してない流れが始まり進んでいく。それはそれで楽しくもあるからいいんだけど、でも出来たら此方が思う自分と、相手が受け入れる自分が出来るだけ近いものであって欲しいし、逆に相手が表現したいその人を、出来るだけ近く受け止めたい。完璧に同じにはならないし、重ならないんだろうけど、少しでもそれに近づけたい。