書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

価値観が合わない人

人と人を繋ぐのに、「価値観が同じ」ことが大事だと聞く。パートナーや特別な友人になったきっかけが、「価値観が同じ」だったからとも聞く。否定するわけじゃないけど、なんか違和感がある。価値観が違ったらなんで駄目なのかと、昔からぼんやり思ってた。

 

価値観が同じという事は、考えや発想が似ている、選択肢だって同じになりやすい。同じだから、一緒にいて意思疎通もスムーズだし話が早い。同じだから変なストレスも少ないだろうし、喧嘩のリスクも少ない。それが心地いいのはわかるけど、スムーズな分、刺激や新しい発見、セレンディピティも少ないんじゃないかと思う。

 

個人的に、パートナーや特別な友人になる人は価値観が違う人が多い。興味を持ち、仲良くなりたいと思うのは、大抵違う考え方をしてる人だし、違う判断をする人だし、趣味だって違う場合が多い。流石に全部が全部合わないという事は無いけれど、あまり被らない。でもそれが原因で、仲が進まなかったという経験もそんなにない。割れたらお互い話をして、どちらかが合わせたらいいだけ。

 

合わせる時は、自分の知らない「価値観」の体験を出来るし、合わせてもらった時は知らない相手に新しい価値観を提供できる喜びがある。そっちの方が楽しいし、刺激的だし、知見も広がる。一人で無く、誰かといるんだから、そういう自分では得られない何かが欲しい。

 

同じ価値観と比べて、確かにスムーズじゃないかもしれない、邪魔くさいかもしれない。でもそれを乗り越えて、相手に敬意を称し、説明と時には相手に譲る事が出来るかどうか。その苦労をする価値はあると信じるし、もっと言うとその過程を苦労と思わず、面白さを見出せるか。

 

価値観が同じでも楽しく過ごせる。でも価値観が違っても楽しく過ごせる。

価値観がどうのこうのって、本当はあんまり大事な事じゃないと思う。