いい人なのに苦手な人がいる。いい人なのはわかる。でも理屈の話では無く、苦手で下手したらそこから嫌いと思わせる人がいる。いい人なのに、その人を嫌う事に強い罪悪感を覚える。
理屈じゃないとは言ったけど、突き詰めて自分の中に深く潜って考えたら、ある程度は苦手な理由らしきものが浮かんでくる。でも、更にその奥に、フォーカスを合わせた表現が出来ない、ハッキリとはわからない、自分が苦手で嫌う何かがある。
ただ突き詰めてその理由を出したとしても、他人に危害を与えようとしている事でもなく、他人が変えろと指示をするべきような事ではないのが殆ど。だからどうにもならないし、しようとも思わない。
深く潜り、苦手で嫌いを突き詰める事は、その人からしたらどうしようもない無罪な事であり、それを自分が苦手、嫌っているという事と向き合う度に、自分が嫌になる。
なので、苦手で嫌いな理由を潜って考えないようにした。そして開き直ろうと決めた。苦手なんだからしょうがない、嫌いなんだからしょうがないと開き直る。ただ大人として、その人を不快にさせないよう、それなりに上手く取り繕う接し方をするよう、気を使えればいいだろうと開き直った。
そして開き直るのと同時に、理由もなく俺も苦手と思われ、俺を嫌う人がいる事を受け入れようと決めた。今迄もそうだろうと思えることはあったし、今後もあるだろう。
何故とか思わず、相手に聞こうともせず、そう感じてしまう人が俺にいる以上、同じことを俺に思う人がいるのも自然な事だと、それを受け入れる。
いい人を苦手に思ったり、嫌いに思う罪悪感は、自分もそう思われることを受け入れることで、初めて消せるのかなと思う。