書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

いい人だけど嫌いな人

いい人なのに苦手な人がいる。いい人なのはわかる。でも理屈の話では無く、苦手で下手したらそこから嫌いと思わせる人がいる。いい人なのに、その人を嫌う事に強い罪悪感を覚える。

理屈じゃないとは言ったけど、突き詰めて自分の中に深く潜って考えたら、ある程度は苦手な理由らしきものが浮かんでくる。でも、更にその奥に、フォーカスを合わせた表現が出来ない、ハッキリとはわからない、自分が苦手で嫌う何かがある。

ただ突き詰めてその理由を出したとしても、他人に危害を与えようとしている事でもなく、他人が変えろと指示をするべきような事ではないのが殆ど。だからどうにもならないし、しようとも思わない。

深く潜り、苦手で嫌いを突き詰める事は、その人からしたらどうしようもない無罪な事であり、それを自分が苦手、嫌っているという事と向き合う度に、自分が嫌になる。

なので、苦手で嫌いな理由を潜って考えないようにした。そして開き直ろうと決めた。苦手なんだからしょうがない、嫌いなんだからしょうがないと開き直る。ただ大人として、その人を不快にさせないよう、それなりに上手く取り繕う接し方をするよう、気を使えればいいだろうと開き直った。

 

そして開き直るのと同時に、理由もなく俺も苦手と思われ、俺を嫌う人がいる事を受け入れようと決めた。今迄もそうだろうと思えることはあったし、今後もあるだろう。

何故とか思わず、相手に聞こうともせず、そう感じてしまう人が俺にいる以上、同じことを俺に思う人がいるのも自然な事だと、それを受け入れる。

 

いい人を苦手に思ったり、嫌いに思う罪悪感は、自分もそう思われることを受け入れることで、初めて消せるのかなと思う。