書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

壊れたものを持ち続けること

スーツケースが壊れてしまった。2つのファスナーで締めるタイプで、ファスナーの一つが知らぬ間に壊れて脱落、そのまま何処かに行ってしまった。ここ数年、出張が増え、使い倒していたのでしょうがない。寧ろ安いノーブランド品だったのに、よくここまで持ってくれた。

ただ壊れたとはいえ、もう片方のファスナーで充分閉まるし、強度的にも問題無さそう。近寄って目を凝らさなければ、壊れている事もわからない。使用に問題無く、見てくれもほぼ変わらず。なので、使えない事も無い。

でも今回、そのまま使う事に、なんか引っかかるものを感じてしまった。このまま、この壊れてるスーツケースを使い続けると、壊れているものが相応しい自分になってしまうような気がした。

壊れているとは、正常じゃないという事。使用に耐えても正常じゃない。正常じゃない事が分かってるのに、平気な気持ちで持ち続ける事を認めるような自分にはなりたくない。

 

日々の生き方に、持ちものや、身につけているものは影響を与える。壊れたスーツケースを平気で使う人は、何処かで落とし穴にはまりそうだし、ほつれたシャツを着続ける人は、例えほつれたその部分が他人に見えなくても、どこか隙がある様に思う。なので、新しいスーツケースを買った。

 

持つもの、身に付けるもので、自分の生き方に肯定感を与えたい。否定感を与えるようなものは、持ちたくないし、壊れているなんてもってのほか。値段が高いもの、安いものでもない。ブランドもので着飾るとかそういう意味じゃない。ただ自分が納得できる、ちゃんとした状態のものを持っていたい。そういうものに囲まれていたい。

壊れたロレックスより、完動品の100均の腕時計を持つ方が、自分は肯定感を得られる。ならそうしていたい。

 

どういう状態の何を持ち、身に付けるのか。それを自分でちゃんと決めて意識をする。

とても大事なことだと思う