書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

誰かに何かを教える難しさ

できない事をできる人に聞くと、大抵の人は「こうやって、ああやってを組み合わせて、こうすればできるよ」と、理屈立てて教えようとしてくれる。ただ苦手なこちらは、その「こうやって」ができない、「ああやって」ができない、「こうすれば」ができない。だから聞いているんだけど、できてる人からしたら、それがよくわからない。下手したらバーンとかドーンとか、そんなオノマトペまで入れて説明してくれるけど、余計わからなくなる。話がそんな感じになったら、苦笑いしながらありがとうと伝えて去るしかない。

教えるのが上手な人、センスがある人は、その「こうやって」は「ああすること」だとも言い換えてくれ、それでもわからないという雰囲気を出したら、「ああすること」は「そうすること」と、二段、三段深堀しながら探ってくれる。共通の言葉を探そうと、意識してくれているのが分かる。何処まで掘り下げたらいいのか、共通の言葉がなんなのか、探るのが上手い。「こうやって」か「ああすること」か「そうすること」か、どの言葉が相手に刺さるのか、探るのが早い。そうやって、どこかで共通の認識を持つ言葉が見つかり、ようやく理屈でわかるという希望が生まれてくる。

 

自然とできる事、得意な事程、教えるのは難しい様に思う。出来ない人がなぜできないのか、理解するのは難しい。ここができる、ここができないの視点が合いにくい。自然とやってる人、得意そうに見える人にこそ聞きがちだけど、それは避けた方が無難なのかもしれないし、自分が自然とやれて、得意な事を人に聞かれたら、その期待に応えるのは、とても難しい事だと意識しておいた方が良い。

 

苦笑いをして去った事もあれば、ありがとうと、苦笑いされる側に回った事もある。言葉通り取るほど間抜けじゃない。去る方はまだしも、される側になるのは残念だし、申し訳なく思う。教えるセンスが無い事を残念に思うけど、そこで止まっていても勿体ない。

なので、得意な事こそ先に言語化しておこうと思う。「こうやって」か「ああすること」か「そうすること」か、どの言葉が相手に刺さるのか、更に全然違う別の言葉になるのかわからないけど、その場の会話で出せないなら、先にとりあえず言語化しておきたい。幾つかの言葉を深堀しておきたい。それを元に答えて、仮に同じように苦笑いされる結果になったとしても、まだ諦めが付く。

 

誰かに何かを教える事って、本当に難しい。