昔話は楽しい。特に酒を飲みながらの昔話は凄く楽しい。楽しかった昔に戻って、喋っている者同士、共通の経験を追体験している。目の前に見えるのはビールグラスの筈なのに、脳の中では昔話の中の光景を見ている。昔話をしている時、今の目の前の現実を見る目と、追体験しながら昔を見る偽物の目がある。偽物の目の視力が高い程、追体験のライブ感が強くなり、追体験のライブ感が高い程、昔話は盛り上がる。そして盛り上がる程、偽物の目の支配が強くなり、昔の経験を客観的に見ることができない。
昔話は楽しい。でも単なる昔話って生産性が無い。ただの昔話からは、なにも新しいものが生まれない。ただの昔話はただ楽しいだけ。
ただ楽しいが駄目な訳じゃないし、後ろ振り返って、ああだこうだと追体験する事だって悪くも無い。でも今と未来を置き去りにして、戻れもしない過去、それも自分たちの都合の良い様に、気が付かないうちに改変させているであろう記憶を、偽物の目で追体験して楽しむことに、なんか意味があるのかなと思ってしまう。
昔話は楽しい。昔の仲間と集まると、やっぱり昔話になってしまう。こんな事を考えずに、その場を楽しむのが良いんだろうけど。昔話で楽しめる感覚はそのままに、なんかちょっと変えたい。
意味のある昔話にするには、どうしたらいいんだろう。