書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

「もの」と「経験」

15年乗ったバイクを売って、新しい奴を買った。

 

今迄も、色んなバイクを買っては売りを繰り返してきたけど、不満を感じたり、違う価値観に魅力を感じた時に乗り換えて来た。「もの」として見て、より魅力を感じた結果でそうしてきた。それで幸せだったし、後悔もしていない。随分散財もしたけど、自分の趣味人生としては正しかった。

でも今回はそうじゃない。最後まで不満は感じなかったし、「もの」として、新しい奴に手離した奴以上の魅力を感じない。新しいのはまだ来てないし、気が変わる可能性も捨てないけど、今回手離した奴の方が、こと「もの」としてだけで見たら、自分の中で上なのは、今後も変わらない気がする。

 

今でも身体は動く(と思う)し、スポーツも出来ている(と思う)。バイクだって変わらず乗れる。ただ乗るにあたって、昔ほど余裕が無くなってきている。今迄余裕だった速度域が、同じレベルの余裕では無くなっている。年々、余裕の幅が削られてきている。歳をとる事に、あまりネガティブなイメージは無かったけど、こと動体視力を含めた、身体能力の衰えに関してはそうじゃない。それでも去年あたりまでは、まだ大丈夫と誤魔化してきた。ただ、いい加減認めないと と腹を括った時、乗り換えに関しての考えが少し変わった。

自分の余裕度がまだあるこのタイミングで、自分の思う、一番速い奴に乗っておきたいと思った。バイクを工業製品として見た場合、15年の格差は凄く大きい。当然速くなってるし、乗り手の自由度も上がっている。でもそれを堪能するには、相応の動体視力と身体能力があっての事。今後それらが落ちる一方で、それを認めた今、経験出来ることをしておきたいと思った。

今ならまだ間に合う。新しい奴に換えてもそれなりに乗れる。でも5年後、下手したら3年後には、もう乗れなくなっているかもしれない。乗れても、自分でも歯がゆくなるような乗り方しか出来なくなっているかもしれない。そんな残酷な体験を避けるなら、今しかない。死ぬ時に、あれに乗っておけばよかったと思いたくない。

趣味の分野では、割と「もの」こだわってきた。勿論「経験」もこだわったけど、人よりも「もの」にはこだわってきたように思うし、「経験」よりそちらを重視する割合も大きかった。

でも今回初めてそれが逆転した。「経験」を取って、新しい奴に手を出した。

 

別にこの価値観が絶対的に正しいとも思わない。ずっと好きな奴に囲まれているのも、幸せな人生だと思う。人によって違う筈だし、その時の年齢や立場や、その趣味を含めた、相対してる出来事によって選択は違うはず。でもそれらを考え、悩んだ末に、後でより後悔するとしたらどっちだろうと考えたら、今新しい奴に乗っておく方を選んだ。

たかが趣味のバイクの話だけど、自分にとって、「今しかできない、後では出来ない経験って何?」と、考えるいいきっかけになった。他の事も、ちょっと棚卸して考えてみたい。

 

人生、あと半分の歳になって、それを受け入れる覚悟が付いたのかなと思う。