書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

やまき

たまたまYouTubeのお勧めに出てきた、大阪にある「やまき」という、道端で焼くホルモン屋の動画にハマっている。

特別な事は何もない。外国のレストランなんかである、映えるパフォーマンスも無い。焼き方も特殊な技術を使っているようにも見えないし、他の人が焼いたとしても、それほど味の差も出ないと思う。別に普通にホルモンを焼いているだけ。

なんだけど、シンプル過ぎる動きと、そこからの音に、妙に魅かれてしまう。店主のテコの裁きとか、テコと鉄板から流れるカチャン カチャン という音、ジュージューとホルモンとタレが焼ける音とか、その辺が妙に心地良くて、繰り返し見てしまう。

繰り返し何度も見ていると、所作に無駄が無く美しいとさえ思ってしまうし、テコと鉄板の奏でる カチャンカチャンという高音に、上品とは言えない客のおっさんからのガヤからさえも、ライブ感を感じる。

 

単純な作業やルーティンで、今日初めてやろうが、何年、何十年やっていようが、ほぼ差が無い、ほぼ結果が変わらない事がある。「やまき」のホルモンを焼くこともそうだろうし、バイトが採用されるような工場の流れ作業なんかもそう。

ただ、そこに差が無いという訳では無い。圧倒的な時間を掛け続けてきた人の手によるものと、そうじゃない人の手の差は確実にある。極々わずかな味の違いであれ、極々わずかな製品の差であれ、人間が手掛けた以上、絶対にその行為に、今迄掛けて来た時間なりの違いが出る。どれだけ単純なものでも出るし、結果が物であれ、サービスであれ必ず出る。意識して見るか見ないか、気が付けるか気が付けないかはあるけど、必ず出ている。

 

物やサービスが単純なものほど、微々たる差を圧倒的な差と感じる。複雑で、何十年も修行してようやく出来ることを見るのも感動させられるけど、個人的にはそちらを感じることが出来た時の方が、より感動する。似たようなテコ捌きや音を見聞きすることは出来るかもしれないけど、それでも、「やまき」の店主と素人が焼くのでは絶対に違うはず。ハマって「やまき」の動画を色々検索して見ていたら、どこかのインタビューで、店主は50年間ホルモンを焼いていると言っていた。「やまき」の動画に妙に見入ってしまうのもそれが理由だろう。

 

どれだけ簡単な事でも、どれだけ単純なルーティンでも、時間を重ねる、回数を重ねると、絶対に確実に、進化成長していく。一言では伝えようの無い差でも、必ず毎回毎回あるだろうし、それが積み重なって、何日、何ヶ月、何年、何十年と経てば、差が出てくる。

 

小さな差を感じることと、小さな差を面白がれる人間でいたい。