書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

刺激を原材料に変える事

誰かから刺激を受けて、新しい考えをもらったり、感動したり、嬉しくなったり、幸せを感じたりする。否定されたり、落胆したり、悲しくなったり、不幸を感じたりもする。それは相手が刺激という「原材料」を、自分の頭の中に届けてくれたから。

 

頭の中って工場のようなもので、「原材料」がないと何も作ることができない。人によって色んな工作機械があったり、その機械にも性能の差があるんだろうけど、その違いがその人のオリジナルを作ってる。

誰かからもらう「原材料」は、誰かの頭の中の工場で、その工場にしかない工作機械で生産されたもの。その工場以外で作れない、唯一オリジナルの「刺激」として生産されたもの。

 

その刺激という「原材料」を誰かから受け取って、初めて受けた人の中で変化が生まれる。それが繋がっていって、誰かからの刺激を加工して、また別の誰かの「原材料」として世に出す事で、世の中色んな刺激が世の中を回っているように思う。

 

「原材料」は言葉で発してもいいし、行動で表してもいいし、表情として出してもいい。無言、ノーアクションでも、相手や周りに「そういう選択をしましたよ」という伝え方ができたら、それは立派な「原材料」になる。

 

大事なのは、受けた刺激を、ちゃんと誰かの「原材料」として、自分も誰かに繋げること。回り回ってきた、その刺激という名の「原材料」を、自分で止めてしまうのは勿体無い。自分が出した「原材料」が、誰かにとって物凄い「原材料」になるかもしれないし、そこから巡り巡って、自分にとって凄い「原材料」が、また生まれるかもしれない。自分の所で閉じてしまったらダメだと思う。

 

自分も、今迄沢山の人から、沢山の刺激という名の「原材料」をもらってきた。

恩を返すという意味でも、何かの「原材料」を出していきたい。

 

誰かの「原材料」としての刺激を発信する事は、自分にも他人にも、とても意義のある事だと思う。