書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

質問への姿勢

スマホを買い替えようと思って、ある人に質問をした。質問と言っても、機種は決めていたので、「どう思う?」と投げ、「いいんじゃない」と言ってもらって、背中を押してもらいたかっただけ。

その人の知識だったら、簡単に答えが出てくる筈なのに、ちょっと待ってと言われ、暫く経ってから、思いのほか広く・深く・濃く意見をもらえた。此方が聞いてから、後でわざわざ調べてくれた事も入っていた。何故そこまでしてくれるのか不思議に思いつつ、でも直接そう聞くのは失礼なので、ぼやかして聞いてみたら

 

『実は自分自身の疑問に関しては、驚くほど怠惰で何もしない。でも他人に聞かれた事は違う、スイッチが入る、改めて勉強しようとする、いいモチベーションになっている。結果自分の成長にも繋がっているので、寧ろ聞いてもらえる事に、感謝をしている。』

『そして可能なら、その質問と答えが出るまでの過程を公開するようにしている。それを見ている他の人も、その人なりの気付きや疑問を持ち、それが解決され、回り回って、何時か自分にとって学びになる可能性が高い。誰かの疑問が解決される時、それは当事者だけでなく、そのやり取りを見ている人間も、そこから学ぶことができると思ってる。』と言われた。

 

聞いた自分がちょっと恥ずかしかった。

 

聞かれることは、大抵得意で知ってる分野であり、自分の持ってる知識から抜き出すだけ。それで、ある程度の確度と精度を伴った意見を答える事が出来ると思っていたし、特別な事でない限り、答えるために、更に調べ、学び直すという発想はなかった。

そしてあくまでもその人の為だけだと思ってた。頼ってきてくれる人には親切にしたいし、出来るだけの力になってあげたいとは思いつつ、あくまでも与える立場、GIVEだけだと思ってた。自分の学びのきっかけにするという発想が無かったし、それが自分へのTAKEになるという発想が無かった。

その人から聞かれる事は、逆に言うとその人に聞くことができる。頼り頼られ、直接であれ間接であれ、それはいつか帰ってくるという発想も無かった。

 

人の質問に答える事は、必ずしもその人の為だけではない。人の質問に答える事は、自分の為にもなる。自分の為にも人の質問に答えたいし、人の質問を、自分への成長に繋げたい。自分の為に人を助け、人への助けを自分の成長に繋げたい。

 

スマホの事とは別に、最高の答えを頂きました。

感謝しています。