書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

人柄と言ってる事は別

尊敬していた人が、自分の価値観からしたらありえない事をSNSに投稿してて、心を揺さぶられた。

 

変ってる人だと思ってたし、そう考えて守備範囲を広めにとってはいたけど、それを大きく超える球を投げてきた。ドン引きというやつ。

長く緩く繋がらさせて頂いてて、その人に悪気が無いのもよくわかる。でも根本的に自分とは違う種類の人なんだなと、改めて思い知らされた。

 

 

人柄と言ってる事は、分けて捉えないとなと思う。

 

付き合う入り口として、人柄が気に入って付き合う形と、言ってる事に共感して付き合う2つの形がある。でも人柄がいいからといって、言ってる事を何時も盲目的に受け入れるのは違うし、言ってる事に共感できるからと言って、その人の人柄を無条件に肯定し続けることは違う。

 

人柄と言ってる事は別。

 

そんなの当たり前の事、区別出来てると思ってたけど、油断してると一緒にしてしまってる。たまに言い様の無い違和感を感じる時があっても、「この人の人柄・この人の言う事なら間違いない」と軽く押さえこんでしまってる。

いちいちそこで考えこむのは手間だし面倒。付き合いの流れを止めたくないし、付き合いが駄目になる事が怖くもある。

でもこれって対等な関係とは言えないんじゃないかと、依存してるんじゃないかと、所謂信者の状態になってるんじゃないかと。

同時に、雑に付き合ってる証拠じゃないだろうか。相手を尊重していないという事じゃないかと思う。それこそ相手に失礼だし、自分自身にも失礼。 

 

人は都度都度変わる。全てを何時も見せてるわけでもない。隠してるものが見えてくることもあるし、新しい局面に出たら今までと違った面を見せるかもしれない。

自分だってそうだし、相手だってそう。多分殆どの人がそう。

 

相手は悪くなくて、受け取る自分の問題と思う。

それを受けて、付き合う離れるを決めるのは自分なので、自分の問題。

 

だから付き合う以上、誠意をもって、人柄と言ってる事はちゃんと分けて考えたい。

その上で違和感があっても、それ込みで受け入れるか受け入れないかはまた別の話。