書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

かすった

先日、夜の高速道路、車間距離も十分取り、流れに乗ってバイクで走っていたら、前を走るトラックから廃材が飛んできてバイクに直撃した。凄い衝撃で、よく転倒しなかったと思う。頭部含む身体にもよく当たらなかったなと思う。夜の高速道路で転倒したら、後続車に轢かれてまず死んでいたし、頭部に廃材当たったら、これまた良くて重症、というか、頭部含めて身体に当っていたら、まず間違いなく転倒だから、どっちみち死んでいた。

バイクだからというのではなく、人生、病気や事故を含め、なんかの拍子で、「突然死ぬリスク」は十分理解してたつもりだけど、いざそれが我が身に「かする」と、本当にあり得る事なんだなと愕然とする。何も悪い事してないのに、圧倒的な不条理感を感じる、他人と比べて不公平感を感じる。不思議と恐怖や怒りは感じないけど、不条理感と不公平感で心の中が満たされる。

突然の意味も、急にやって来るには来るけど、なにか一呼吸、少し感想を考える間と言うか、「あー、このまま死ぬんだな」っていう3,4秒の時間の間があったりするんだと思ってた。宝くじに当たるレベルの確率ながら、その状態から抜け出す選択肢を選ぶ、間もあるのかなとも思ってた。でも、どっちもそうじゃなかった。そんな突然もあるのかもしれないけど、それは本当の意味での突然とは言わないんだろう。突然とは、そんな「隙間」があるものではなく、そのまま流れで、その一コマで強制終了してしまうぐらい、短く太く、死ぬっていう結果に直結するものだと知った。

これを書き殴ってる最中も、徳島県で小学校4年生の子供がトレーラーに轢かれて亡くなったというニュースが流れてきた。「その場で死亡を確認」って言ってたから、何も考える暇もなかっただろうし、急に目の前が暗くなって、無になったんだろう。横断歩道を渡ってたのに、何も悪くないのに。不条理で不公平。

人生、「悔いのないように」とか、「やりたい事を全部やる」とか、とても大事な事だし、それらを意識して生きてもいきたいけど、そんな青臭い事を言うその前に、生きてる以上、「突然死ぬリスク」を受け入れないといけない。生死に関しての不条理と不公平を、受け入れる覚悟をしないといけない。怖いとか憤りでもなく、ただ淡々と受け入れないといけない。ある日突然、喜びも幸せも、何も惜しむ間もなく、無になって途絶える可能性を受け入れないといけない。

なんか人生冷めそうになるけど、それが現実なのかと思うし、逆にそれを受け入れたら、喜びも幸せももっと深くなると信じよう。

そしてそれを受け入れる事によって、「バイクでは死なない」という、おまじないが掛かる事となりますように。