書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

一対一

今週のはじめ、友人とご飯を食べて来た。一対一で。彼とは集団で会う時が殆どだけど、年1か2、忘れた頃に、なんかの流れで一対一で会ってご飯を一緒に食べている。

 

みんなと一緒にご飯を食べるのも楽しいけど、一対一で食べるのはもっと楽しい。ただ、楽しいだけじゃなく難しさもある。

一対一は、間とか、空気とか、流れにごまかしが利かない。3人以上のガヤ状態だと、勢いで誤魔化せたり、残りの2人以上にまかせたり、1人自分モードで休んだりもできるけど、一対一はそれが出来ない。

そういう一対一なりのリスクがあるので、大勢の時は割と気軽に参加するけど、一対一で誰かとご飯に行ったりって、あまりしない。


一対一の時は、相手の持つ間と、空気と、流れと、自分の持つ間と、空気と、流れを行ったり来たりしながら話を詰めていく。誤魔化しが無く、どんなにくだらない話題だろうが、その話題になる必然がある。会った時の「まいど」で始まり、「じゃあまた」で終わる間の話は、全部一本道で繋がっている。

3人以上なら、全く関係の無い、それ以前の話をぶった切るような事を放り込んで来ても、面白ければそれでOK、寧ろそういうのが複数人での楽しさでもあるのだけれど、一対一はそれを許さない。「まいど」の次に、一番に振り込んだ話題を起点に、ずっと流れが続いていくし、最後の話題を辿れば、「まいど」の後に発した話題に辿る事が出来る。

繋がっているという事は、深堀し続けた結果であり、表に出ている単語や話題は、ありふれた、しょうもないものなのかもしれないけど、深く深く潜った結果、その単語と話題に辿り着いてる。複数人との間では出ない、濃い何かがそこにはあると信じる。

 

結局3時間話しまくって、「月例会」から始まり、40も50も話題が変わっていった先、最後は「かねふく めんたいパーク」で終了。「じゃあまた」で別れた。なんで「かねふくめんたいパーク」が最後になったのかよくわからない。でも繋がってはいたのはわかる。

 

一対一でご飯を食べるって大事だと思う。気が付けば、「なんか飯行くか」って流れの時に、じゃあアイツも誘おうとか、簡単に人を増やそうとするけど、無意識で一対一の難しさから逃げている時があるかもしれない。

いやいや、待ってくださいよと。一対一だからこそ、くだらない事を装った話題の奥に凄い価値観があって、それを根掘り葉掘り邪魔なく、好きなだけ掘り起こせる、貴重な機会なんじゃないかと。一本の繋がっている、会話の真剣勝負をすることは、とても意義があることなんじゃないんですかと。

 

そんな感じで、なんかの縁で、せっかくの一対一の流れになった時には、逃げ腰にならず、勇気をもって踏ん張ってみようと思う。