書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

原付スクーター

生活で必要になり、原付スクーターを買った。

遊びに使うのではなく、必要に迫られて買った。原付スクーターに乗るのは20年ぶり以上。初めて乗ったのは18歳の時で、それから10年近く乗ったけれど、それ以来乗っていない。何時も世話になっているバイク屋に予算を伝え、その範囲の中で、適当な奴を用意してもらった。

今回、求めるのは実用性のみ、ただ乗れればいい、こだわりも無し。なのに、納車の日が近づくにつれ、不思議と原付スクーターに乗るのを、楽しみに待つようになってきた。

 

初めて原付スクーターに乗ったのは、高校卒業間もない18歳の春の頃。当時の自分は、親の言う事をよく聞き、親の望む生き方をする子供だった。親父は恐ろしく、言う事には何一つ逆らったことがなかった。原付スクーターに乗りたいと言ったら、「浪人生なのに、そんな事をする暇があるなら勉強しろ」と、正論で一蹴されるのは分かっていた。

ハッキリ言って、原付スクーターをそれほど欲しかったわけじゃない。当時親の言いなりだった、俺なりの反発を行動で表したら、原付スクーターに乗るという行動になっただけ。原付スクーターに乗る事は、遅くなった反抗期の現れみたいなもので、反骨心の象徴のようなものだった。

先に内緒で免許を取り、ビビりながらも意を決して、親父と母親に「原付スクーターを、買って乗るから」と言った。「免許を取って、買って乗っていいですか?」じゃなくて、「買って乗るから」と言い切った。

当然、オヤジは大激怒。やっぱおっかないと委縮する中、何時も親父の言うことに黙って従う母親は、意外にも「まぁまぁ」と親父との間に入ってくれた。結局、有耶無耶の内に、済崩し的に原付スクーターに乗る事を許された形になった。

母親なりに俺の反骨心からの行動をわかってくれていたんだと、今ではわかる。勿論、激怒した親父の気持ちだってよくわかる。許してくれたあの時の親父と母親には、感謝しかない。

 

それまで徒歩か自転車しか、自由に移動できる手段がなかったのに、晴れて原付スクーターを手に入れて以来、一気に行動範囲が広がった。

地元は田舎なので、ちょっと遊んだり買い物をするには、大阪市内、梅田まで行かないといけない。電車で40分程かかる梅田は、田舎とは全然別で、日本語が通じる外国のような世界。電車の扉が開いて、梅田の駅で開くまで、空間がワープして、運ばれているような感じすらしていた。

でも原付スクーターで地元から梅田に行くと、確かに道で繋がっている事を確認できた。同じ世界、同じ国の場所なんだと、現実で繋がっているのだと、感じることができた。その気になったら、原付スクーターで日本全国、自由にどこへでも行ける。その時の感動と自由と開放感は、今でも覚えている。

 

それ以来、随分性格も変わり、活発になった。親不孝手前まで自己主張もするようになった。無事大学に入り、程なくして、更なる自由を求めてバイクにハマり、車にハマった。原付スクーターは自由の象徴から、ただの移動の道具になったけど、18歳から10年間、道具としてよく働いてくれた。

そんなことをうっすら思い出したから、改めて原付スクーターに乗る事が楽しみになってきた。

ただの原付スクーター、必要に迫られて買う原付スクーターだけど、せっかくだからこの機会を楽しんでみようと思う。

30年前の、あの時の感動と自由と開放感を味わえないだろうけど、また違う価値観を貰えそうな気がする。