書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

嫌われている人にも感謝する

自分の事を好いてくれる人に感謝している。ありがたい。

でも反対の人、自分の事を嫌っている人も、ありがたいと思えるようになってきた。

 

嫌われてる人と、一対一で済む関係なら会わなくてもいいし、事実そうする。でも仕事上や、プライベートでも集団に属しているところでは、嫌いだからといって避けたり、話をしないという訳には行かない。付き合わざるを得ない相手として、何らかの形でやり取りをしないといけない。どうすれば上手にやり取りできるか、考えあぐねないといけない。大抵の嫌いな相手はやりにくく、様子を窺う「センサー」を張り巡らさないといけないし、その一つ一つの反応にも気を使う。それなりに真剣に向き合うと、頭も使うわ、しんどいわで、疲れる。

 

でも嫌ってる人と向き合う事に価値が無い訳じゃない。あまり期待は出来ないけど、嫌ってる人が、何かの契機で、こちらに持ってるマイナスの見方を反対に捉える価値観に変わってくれたら、真逆のプラスに変わる。嫌われる位、マイナスの振れ幅が大きいのなら、その分大きく好きになってもらえる。最初から好いてくれている人より、もっと強く好いてくれる人になる。

その人には嫌われたままでも、何か自分の人生や、他の人とのやりとりで行かせる学びを得られるかもしれない。嫌ってる人が好いてくれる可能性は兎も角、コッチの方は大いにあり得る。

他に、こちらを好いてもいないし、嫌ってもいない人もいる。そういう人との付き合いは、表面的には苦労しない。でも好かれても嫌われてもいないって、無関心という事。関心を持ってくれない人とのやり取り程、虚しいものは無いし、得られるものも少ない。好いてくれる人、嫌ってくれている人は、此方の何かを見て、関心を持ち、反応してくれた結果であって、それがネガティブがポジティブかの違いなだけ。ちゃんとこちらを見た上での事で、そっちの方がよっぽどありがたい。

 

嫌われるより好かれたいし、そういう人達に囲まれたい。なるべくなら、ストレスフリーな方が生きやすい。でもそういう工夫をしたり、頭を使わないと上手くいかないような関係も、多少はあった方が良いとも思ってる。

好意的な人ばかりに囲まれて、肯定感のみにまみれる生き方より、たまに上手くいかなかったり、予想もしないような展開になる人生の方が、結果的に楽しい。好いてくれる人ばかりに囲まれた、予定調和な関係より、右往左往するような生き方の方が想い出になる。程度にもよるし、右往左往してる真っただ中ではそんな気持ちになれないけど、少し経ってそれらが落ち着くとそう思える。メンタルもタフになれるはずで、そうなる事が、好いてくれる人との関係にも役に立つとも思う。

 

好いてくれる人はありがたいし、嫌ってくれる人もありがたい。