書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

斜め上を目指したい

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「夢ってのは呪いと同じなんだよ。呪いを解くには夢をえなければ。でも、途中で挫折した人間は、ずっと呪われたままなんだよ。」って好きなドラマでの名台詞、もう10年以上前だけど、物凄く印象に残ってる。

 

夢って大きく出ていいのかわからないけど、やりたかった事とか、入りたかった組織とか、もっと仲良く慣れたらよかった人とか、それなりに歳を取ったので、叶わなかった事が同じようにそれなりにある。それを夢と呼ぶのだとして、全部が全部では無いけど、叶わなかった夢の方が多い。

 

叶わなかった逆鏡をバネにして成長できたと思うし、今とりあえずは食うに困らない生活を送れ、贅沢は出来ないけど好きな趣味にお金を使うぐらいの余裕もある。だから逆鏡からのバネ的なものは否定しない。

 

でも俺にとって、逆鏡からのバネって「復讐」に近い感情で、自分で昔の出来なかった自分へ復讐する感じだった。「人は人、俺は俺」と思うようにしていても、理屈で思うようには割り切れなくて、自分で出来ない自分を憎んで恨んできた。

 

あの大事な時に何故勝てなかったとか、あと少し粘り踏み留まるべきだったのにとか、勇気を出して何故とことん話をしなかったんだろうとか。たまに考えてしまって「自分への復讐心」をその都度溜め込んできたと思う。

 

ずっとそれだけだと辛いというのも薄々わかってはいたけど、甘い自分への戒めとして見て見ぬふりをしてきた。その時なりにベストを尽くした自分を全然肯定してこなかった。殆ど自分への虐待だった。

 

でも最近、ようやくそんな出来なかった今迄の自分を認めようと思えてきた、認めてあげようという気になって来た。それはそれでいいじゃないと思えるようになってきた。自分が弱いから、成せなかった自分から事から目をそらして、認めたくなかったから、「復讐」っていうコンプレックスにしていた。でもいい加減メンタルもしんどいし、弱い自分を認める事が、もっと強くなることに繋がるとも思うようになった。

 

出来なかった時、叶わなかった時に、復讐心で応えるのではなく、受け入れて「いなす」ようにしたい。起きた事は起きた事として受け入れる、それに対して理想の動きが出来なかった自分を認めて「いなす」という、そういう人生の進め方に変えていきたい。

 

打ち返しつつも、斜め上とかちょっと軸を変えて返したい。斜めに行った分が俺が生み出した新しい価値なんだから、そっちの方が意味あるんじゃないかなと思う。で、どれだけ斜めに行くかが、見せ所。

 

という訳で今後は斜め上を目指す男という事で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みに冒頭の台詞は仮面ライダー555の第8話。

知らない人は、Amazonでもなんでも検索して座して見なさい、正座して見なさい。