書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

全部「遊び」とする

人間として絶対的な存在であるという確信を持っておきたい。人間として自分は絶対。その下に、人生の喜びを追及する行為を「遊び」として、その遊びの下に、仕事も趣味も全部入れておきたい。遊びとしての、仕事や趣味やその他諸々があるような感じでいたい。そんな感じなので、真面目な人には怒られるかもしれないけど、仕事は半分以上遊び、ゲームだと思ってる。

 

仕事を人生の中において、絶対的な位置に置くと、自由に動けなくなる。保守的で、慎重になり過ぎて、多分上手くいかない。仕事をミスったら解雇される、お金が稼げなくなる、生きていけなくなるみたいな。冗談じゃなくて、そんな感じになっていくのが目に見えてる。

だからこそ、あえて遊び、ゲームとして捉えている。仕事を遊びゲームと捉えるからこそ、楽観的にもなれるし、余裕を持って取り組む事が出来る。その方が熱中もできるし、成果も出しやすいだろうし、仮に駄目でも、何処かで結果を手離せる。

積極的に「仕事は遊び、ゲームみたいなもの」とは言わないけど、仕事の悩み相談を持ち掛けれれたら、たまに言う事がある。反応は様々だけど、即座に「そうですよね」では返ってこないので、変わってる考え方なのかもしれない。

悩むのも、「ゲームが上手くいかない」と悩むならいいけど、絶対の位置にあるものに対して悩むのは、心が辛すぎるだろうし気の毒に思う。遊び、ゲームなら、答えが出なくとも、出した答えが間違っても、そんなもんかで済ませれるのに。

今では仕事以外でも、そう考えた方が良いんじゃないかと、人生全て、遊びでゲームだと捉えるようになった。遊びでゲームだから、沢山失敗しても、沢山負けても大丈夫と思えるようになったし、気負う事無く生きれてもいけるようになった。結果的に仕事を含めた人生全体でも、いい方向に流れやすくなっているように思う。

万が一仕事で駄目になったら、躊躇せず生活保護に頼るつもりでもいる。バイクとか車とか、金のかかる趣味は諦めざるを得ないけど、それでも死なない、生きてゆける。最低限生きてゆける。そういう国と時代に生まれてラッキーだし、そういう社会で貢献もしてきているから(税金納めてる人はみんなそう)、そうさせてもらう権利だってある。

そう捉えたら、仕事はやっぱり遊びだし、ゲームだと思う。

ついでに人生も、それでいいと思う。