書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

丁寧に

今年のテーマは「丁寧に」というのに決めた。頭の中の、ど真ん中かどうかは別として、それなりの位置に、ずっとこの言葉を置いておこうと思う。公私共々、丁寧にいく。

 

何かをやる時、何かを求める。何かを得るために、こちらも思いを掛ける。掛ける以上、手を抜かず一生懸命やる。その自分の一生懸命に相応しい、「何かを返してくださいね」って意味で掛ける。一番ふさわしい見返りは当然結果。

ただ、何かをやろうとしても、自分一人で完全に完結するもは少なく、大抵のことは世の中の流れとか、一緒にやる人の意志や実行力とか、競合・反対する人の行動が大きく影響してきて、自分で結果をコントロールできない。何時も結果に掛けて、それらの「造反」で痛い目にあってるので、流石にもうそこは学習できてる。結果そのものに、自分の思いを全て掛けるわけにはいかない。

結局、何かをやる時、結果でなく、その時直面してる「過程」以外に全てを掛ける事は出来ない。凝るべきところ、掛けるべきところは、その時直面してる自分の過程にしかない。なので、外的なものに思い切り左右される結果に対し、せめて自分のできる過程ぐらいは完璧に。と、言いたいところだけど、完璧に出来るほど頭も良くなく、行動力も無く、影響力も無い。一言で言うと器量がない。自分の過程ですら完璧に出来ない事に、残念過ぎてうなだれるけど、ここで腐らず、もう一歩しぶとく考えてみたら、せめて過程を「丁寧に」としか出てこなかった。

 

「丁寧」に才能とか努力は要らない。一手間かければいいだけ。

思考も行動もだけど、自分の思う普通に、更に一手間を掛ければいいだけ。

 

根回しもそう。政治のせいか、根回しという言葉はあまりポジティブな意味で使われないけど、そもそも関係する人を丁寧に扱うという事。根回しをするのは、過程とその過程が繋がる物事を、丁寧に進めるのと同じ意味がある。根回しは普通しておいた方がいい。

何かをした後の確認だって、めんどくさがらず丁寧にした方が良いのは当たり前。ウザがられようが、結果が叶わないより、一時ウザいと思われる方がずっといい。出来るだけウザがられないよう確認する言い回しは学べる、テクニック。なら学ぶまで含めて、丁寧な確認になる。

言葉にだって丁寧に向き合いたい。品と学が無いので、口が悪いのは変わらないだろうけど、「ありがとう」と言うのも、別の言葉と組み合わせて伝えたり、伝える場をちゃんと整えたい。言葉を使う折には、丁寧を意識したい。

 

昨年はあまり良い年では無かったけど、丁寧に過程に向き合えていれば、望む結果、そちらに近い方向の流れを作れたように思える事の方が多かったように思う。そこから学びたい。

 

という訳で、今年のキャッチフレーズは「丁寧に」ということに。

丁寧にが、過程に思いを掛ける事への拠り所になる。

全部「丁寧に」いく。