書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

素の自分

ここ約3週間弱、公私ともずーっと忙しくしていて、その忙しい期間の最終日は、毎年一回受けると決めている人間ドックの日だった。

正直、心身ともに疲れ切ってるこのタイミングでは行きたくなかったけど、キャンセルしたらまた予約取るが大変ということで、己に鞭を打って行ってきた。

 

毎年毎年、年度末のこの時期に受けているけど、毎年毎年めんどくさい。毎年毎年そう思う。でも検査の大切さは知っているので、受けないという選択肢は無く、意識のスイッチをオフにして、検査中過ごしてる。なので毎年気が付いたら終わっているんだけど、今年は何時もと違ってとても不快に感じた。他人に体を触られる不快感を、今回凄く意識した。

検査をしてくれる医師や看護師、検査技師の方に対して不快に思っているんじゃない。自分から望んで検査に来ているんだし、医師も看護師も検査技師も、とても丁寧で優しく接してくれた。サービス業としてのプロ意識、あえて言うと「接客」をしてくれているのもよくわかった。ただ不快に感じたのも事実で、最初その理由が分からなかったけど、他人に身体を触れる不快感から来るものだという事に、後から気が付いた。

元々身体を触れられるという事に不快感を感じるけど、普段の余裕のある時は、それを抑える事が出来ている。抑えるとか言うレベルですらなく、無意識でそうなれている。でも心身共に余裕のない今回、それが抑えきれず出てきた。

普段は感じない不快感を、今回特別に感じたわけじゃない。感じても、意識に上がらずにいた事が今回あがってきた。普段は自分で意識し、抑えきれている感覚が、誤魔化し切れず、隠し切れず、漏れてきてしまった。

 

弱っている時には、普段より感情が荒くなったり、ネガティブな考え方をしてしまうと思ってるけど、そうではなく、その弱ってきた時に出てくる感情や考え方が、本来の自分なんだと思う。普段は強く余裕もあるので、本当は弱い自分を隠すことが出来、理想の自分を演じきれているだけ。それを本人が忘れてる。

弱い時にマイナスになるのではなく、むしろ普段がプラスの状態にあるということ。それがプラス5なのか、10なのか、100なのか分からないけど、弱い時はマイナス5でもマイナス10でもなく、ゼロであるという事、本来の素の自分であるということ。それが本当の自分だし、そこが起点であるということ。そう思った方が良い。

 

そう思えると、自分の備えというか、余裕とか弱い時に対する対応の仕方とか、心の持ち方とかが変わってくる。無駄な虚勢を張る必要もないし、無駄に自分を追い込むこともないし、成長するために自分に何かの負荷を掛けるにも、適切な負荷をかけることもできる。

 

普段、弱い時に出てきた本音をどれだけ拾って、ちゃんと向き合えるか。決してマイナスなのではなく、それがベースであるという事を自分で理解し受け入れる。そこから、じゃあ余裕のある良い時はどうするのか、今の素が剥き出しになってる時はどうするのか、更に本当の意味でマイナスに陥った時に、どうするのかを考えておくことは、割と大事なことなんじゃないか。

 

何処の状態の自分を素の自分として定めておくか。

驕りも謙遜もなく、楽に生きていくにあたっての、コツの様なものなのかなと思う。