書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

流れ

運とはまた違って、「流れ」というものがあるのを強く感じて意識してる。

 

運は運であるんだけど、流れは流れで全然別。自分がやることに対して、何かの影響を与える掛け算のようなもので、時々によって違って、良い流れもあれば、悪い流れもある。流れが良ければ、自分の実力より掛け率1.2の結果になったり、悪ければ0.8になったりする。

流れは一定ではなく、必ず変化する。今より良くもなれば、悪くもなるし、その度合いも緩やかに上がる時もあれば、急激に上がる時もあるし、緩やかに下がる時もあれば急に下がる時もある。

逃れられず、その時の自分に張り付いてくる。悪い流れの時に無理をしても報われないし、急ぎでなければ流れが変わる時まで行動を待つし、いい流れの時は無理をしてでも色々前倒ししてでも詰め込む。

他の人にこういう感覚があるのかどうかは知らない。でも自分は生きていくにあたり、この流れをとても重視している。

 

なので、今、流れはどうなのか常に意識している。この流れはどれぐらい続くのか。どこで変化するのかしないのか。それも良い方に変化するのか、悪い方に変化するのか。その変化の割合はどれぐらいなのか。今どういう流れが来ているのかを知っておきたい。流れを意識をする生活をずっと続けてきてるおかげか、外れる時もあるけど、それなりに流れは読めるようになってきた。

 

流れを知ることはとても大事なんだけど、残念ながら流れを自ら作ることはできない。そして流れを変えることもできない。流れを作れたり、変えることが出来るのなら、何か大切な事をやらねばならない時にそうするだろうにできない。できるのはあくまでも流れを読むことだけ。普通の流れの時は、良い流れになる事を祈るし、いい流れの時は出来るだけそれが長く続くよう集中するし、悪い流れの時は早く止まりますようにと祈るだけ。

 

でも流れを読めるのは大きい。実体験上、読み続ければよりその精度は上がっていくように思う。運と違うのは、運は読めないけど、流れは読むことができるということ。そして読むことが出来るというのは、流れを上手く利用も出来るという事。読めるのと読めないのでは生きやすさを比べたら雲泥の差。なので流れを読むアンテナを大事にして、磨き続けていきたい。

 

サボらず、流れを読み続けていけば、その内流れを作ったり、変えることが出来るようになるんだろうか。