書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

子供が苦手

車のタイヤ交換でカー用品店に行ったら、小一時間待たされることになり、暇潰しで近くにある大型リサイクル店に行った。入った瞬間、店内に響き渡る大音量の子供の声。ほぼ悲鳴。3,4人の子供が店内を全力疾走。俗にいう放し飼い状態。うるさくてイライラするし、危ないしで不愉快。とは言え、子供単体、親単体に対しての否定的な気持ちも湧かない。そういうものだと思う。親だって大変、誰も悪くない。

我が子は問答無用で可愛い。親戚や友人の子供もまあ可愛い。でも正直に言って、それ以外の子供は基本的に好きじゃない。電車の中で鳴き叫ばれたら嫌だし、スーパーで鬼ごっこの末にぶつかってくる子供は不快。ただ、電車の中、鳴き叫んでいる子供を、徒労感全開であやすお父さんを見て気の毒に思うし、スーパーの中でダッシュする幼稚園児を、商品満載の買い物かごを持ったお母さんが止める事が出来るとも思わない。

嫌とか不快な気持ちを言葉にするかしないか、態度に出すか出さないかは、また別の問題。でもそう思えるからこそ、単純に子供が苦手という事実だけが、純粋に濾されて残る。

 

子供が苦手だというのは、そう思っては駄目な事で、言ってもいけない事としていた。子供は全員可愛いみたいな。自分も子供がいる親なんだから、そう思うのが当然の義務の様な。なので好きとか苦手とか、意識してあまり考えないようにしていた。

でもそれを受け入れないからこそ、こういう状況に置かれた時に余計にイライラし、不愉快になるんだと気が付いた。なので我が子と親戚友人の子供以外、基本子供が苦手なんだという事を、自分の中で堂々と認めようと思う。

ウチの子供だって同じように鳴き叫び、ダッシュする時期もあった。何より、自分自身昔は子供だった。なのでお互い様、怒る怒らないという話じゃない。寧ろ自分も親として苦労したし、その時助けてもらった分、若いお父さんお母さんを助けたい。でもそれとは別で、他所の子供が苦手な自分を認めようと思う。自分には、そういう気持ちがあるという事を前提に生きようと思う。

 

そうじゃないと、苦手が「嫌い」になってしまいそうで。なんかそれはちょっと悲しいので。