書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

思い出に依存する

思い出にも、良い思い出と悪い思い出があるけど、その思い出を記憶する、忘れる共に、自分の意志でそうならない。良い思い出でも、気が付けば忘れている事もあるし、忘れたいほど嫌な思い出でも、ずっと残っているものもある。主体的に決められない。でも記憶に残っている思い出は、今と後の自分に何か意味があるものだと思いたい。

 

意味があるのなら、時にはその思い出に「依存」もしたい。依存というとマイナスな感じがするけど、その思い出と手を組むというか。意志や発言や行動に至る前に、その思い出のフィルターを通して、何らかの影響を与えるというか。

後の生き方に影響を与えるという意味で「依存」するとするのなら、『良い思い出=依存する思い出』ではないし、『悪い思い出=捨てる思い出』でもない。

良い思い出でも、ずっとそれにすがるようで、新しい価値観や世界を知れないのなら忘れた方が未来があるし、高慢、油断が出るような思い出なら間違いなく忘れた方がいい。悪い思い出だからと言って、忘れるとまた同じように悪い事を繰り返すのなら、やっぱり頭にこびり付かせるほど「依存」させた方が良い。

 

その内残っている、依存している思い出も、年を取ったら消えていく。その時、初めてその思い出が残っていた意味が解消されて、それが成長や、乗り越えたという証明になるのだと思う。そして消えたその代わりに、また新しい、記憶に残る、「依存」する思い出も出てくるんだろう。新しい思い出に「依存」することで、また違う新しい自分になれる。そうやって思い出はずっと入れ替わっていくように思う。

 

出来れば年を取るにつれて、その依存する思い出は、良い思い出の割合が増えたらなと思う。