書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

時に不利な方を選ぶこと

急に「5日で提案してくれ」と顧客に言われた仕事があり、土日も返上、他の仕事も止めてまで必死に詰めた。アポイントの当日、施設の駐車場で待機していたら、代理店の担当者が血相を変えて飛んできて、「もう他社に決めたから来なくていい」と言われたとの事。あれやこれや手を尽くすもダメ、もうどうしようもないという感じに。

腹立たしくも、「まあ、しゃーないね」で2人別れた。でも、どうしても悶々としたものが治まらず、動き出す直前の彼の車の所に行き、「こうも手間と時間を取られ、夜遅く寒い中、今こうやって話をしている現実を無駄にしたくない。以前なんとなく消えてしまった某施設の案件、復活させて、そっちを取りに行きませんか?今迄の時間と苦労の流れを、『生きた苦労と時間』だったことに出来ますよ」と、こんな感じの事を詐欺師の如く滑らかに言ったら、物の見事にハマったようで、目を光らせて「是非やらせてください」と、言ってもらえた。

 

損切でこの流れを切っておいた方が無難だったろうし、新しい案件を探したり、既存の他の案件を追いかけた方が、効率は良かったかもしれない。でもこの悶々とした気持ちになった状況を、なにか意味のあるものとして捉えたいという気持ちが勝った。個性や、生まれ持ったセンス、学んだ人生観、思い描く理想な自分 がそうさせた。

 

とは言え、仕事の効率という意味では間違ってるとも思う。なんとなく消えた理由も、消えるべき理由があるから消えたのであって、それをほじくり返して検証し、練り直すなんて凄く手間がかかる。第一、案件として消えた時以上に、魅力的な提案が出来るのかなんてわからない。新規の案件を探したり、既存の案件に集中し、スピードを上げて、他の仕事を入れる方が、効率も良く理にかなってる。

 

でも効率って、そんなに大事な事なんだろうかとも思う。効率が良いを、「手持ちの武器を最大限回すという事」としたら、そこに新たな成長は無いように思う。自分が苦戦する、不利なところに敢えて飛び込んでこそ、初めて新しい武器を見つける事が出来る筈。新たな武器を見つけ、使いこなし、武器をさらに増やしていく。それが成長の一つの形だとも思う。

 

全部が全部という訳では無いけど、例え不利だとしても、仕事は自分がやりたい方を選びたい。淡々と効率よく追いかけるより、多少泥臭くても、必要以上に苦労しても、自分の望んだ仕事をしたい。上から見て、非効率だと思えても、それを納得させるだけのパフォーマンスを上げ続ければ認められ、許されてる。そしてそれ自身が、モチベーションにもなる。

 

苦労するのは見えてるけど、それでもその苦労さえ、新しい武器と成長によって、どんどん楽しい方向に変えていけると信じる。

という訳で、今回の選択は正解だった。

 

と思います。