書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

しがみつく事はカッコ悪いのか?

世の中、頂点の時に引退する人と比べて、しがみつく人に対して冷たい気がする。

 

スポーツでも芸能でも、プロが頂点の時に華々しく引退するのは確かにカッコいい。ピークから落ちていく自分を許せないとか、支えてくれたファンに無様な姿を見せれないとか、ストイックな理由が一流のプロには似合う。人によっては、語り継がれる伝説にもなる。

 

反面、頂点を過ぎてもしがみつく人もいる。力も落ちたしファンも減った、マスコミにも否定的な見方をされ、そのうち追いかけられなくもなる。プロなんだから潔く身を引けよという、空気を感じながらも引退しない。

 

辞め時なんてその人の自由。そもそも外野がどうこう言う事じゃないという、大前提はひとまず置いとくとして、プロとしてしがみつき、執着する人はカッコ悪いのか?

 

スポーツであれ芸能であれ、プロの世界だから結果がちゃんと見える。周りに言われずとも、本人が一番わかっている。まだやれる、また栄光の場所に戻れると、強く信じているケースもあれば、惰性でも生きていく金を稼がないといけないというケースもある。本人は辞めたくとも、時には周りが下ろさせないケースもあるかもしれない。

しがみつく人にもいろんな理由があると想像がつく。

 

残って退場せず、引退せず戦う理由は、必ずしもファンや周りから見えるものではないし、知ったところで理解をされるとも限らない。批判されても、ひた隠しに何かを賭け、誰にも期待されない中、踏ん張る時も。

 

そこにプロとしての美学を見てしまう。プロスポーツ選手でも無いし、芸能人でも無いけど、彼らの辞め際の選択と行動から、生き様を見させてもらってる。刺激をもらってる。そこに金を払う価値があるという意味では、やっぱり現役のプロなんだと思う。

 

プロとしてしがみつき、執着する人はカッコ悪いのか?カッコいいと思う。

頂点の時に引退するより、カッコいいと思う、