書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

枠の外に出ようと思う

 昨年、セールスで1位になったので、その表彰状が郵送で送られてきた。「Excellent sales result and Outstanding performance」って書いてあって、社長のサイン入りの表彰状。例年、年初にアワード表彰式があって、本来ならそこで表彰され、皆の前で一言二言偉そうにスピーチをし、その後のパーティーで大はしゃぎをするのが習わしなのに、今年はコロナでそれもなし。

それはそれでしょうがない。でも郵送されてきたものを開けてみて、「あー、アワードの表彰状か」と、ただ思っただけなのがちょっとショックだった。スピーチは無いけど、パーティーは無いけど、もっと喜ぶと思ってたのに、冷静な自分がショックだった。

 

毎年毎年、あれだけ欲しかったアワードの1位、その象徴の表彰状にもう感慨がわかない。2017年、2018年も受賞したのでこれで三面目。三面目だから飽きたという訳でもない。そしてお上品になった訳でもない。誰よりも活躍したいし、その結果認められたい。そういう欲は未だ旺盛にある。

 

活躍を認められる、その一つの分かりやすい指標としての1位にはなりたい。

ただなりたいけど、なりたいことの1位が「1位」じゃない。

1位を求め、1位を目指し、1位になるというのはもういい。そういう場と言うか、わかりやすい「1位」という指標を追い求める場に、もう自分がいないという事。

それを認めることにした。

 

1位って順位が付くのは、決められた枠の中で競うから。枠の中だからこそ順位を付ける事ができる。1位を求めるという事は、枠の中での話であり、枠の外に目向かける必要は無いし、興味も持たなくていい。

1位を求める事が絶対なら、たとえ目が向き、興味を持ったとしても、枠の中の競争で勝つことだけが絶対だから、大して力も注がない。1位に囚われると、会社の決めた枠の中での優劣が全てで終わってしまう。

1位というのはとても魅力的なものだけど、枠の中に全てを囚われて、初めて1位になれる。少なくとも俺はそれぐらいしないと1位になれなかった。

 

雇い主が決めた枠の中で1位を目指すことが、悪い事とは思わない。雇われで月給をもらう立場なので、割り切ることが出来ればそれはそれでいいと思う。

ただ、枠の中だけに囚われていると、枠の外の事、規格外の事は出来ない。新しい発想が出来ない。新しい事を生み出す事は出来ない。1位を唯一無二の目標にしてると、枠の中から何時まで経っても出られない。

 

1位を見るのをもうやめようと思う。正確にはそれだけを見て、それだけに価値を見出し、まっしぐらに先ずはそれを得ようとするのを、やめようと思う。1位を先ず目指すのはやめた。

 

じゃあ1位の代わり、何をまっしぐらって言われても、直ぐに出てこないのが、頭の悪い俺らしいけど、一つ決めてるのは、自分が得をするしないは関係無く、直感で面白そうと思った仕事に手を上げよう、無理やり首を突っ込んでみようと思う。

余計な事を抱え込むことになるかもしれないけど、多分その余計な事を、「余計じゃなかった」と変化させる事なんかが、枠の外の仕事なんだろう。

 

勿論、セールスなので数字が落ちたら一気に見向きもされなくなるし、発言力も無くなる。枠の外の事なんて、そもそも数字をやってからこその話。その先の話。なのでそこはやった上で、1位になる事より、枠の外に出ようと思う。

 

この結果で、今後また1位を取れたら俺は本当に凄い奴だわ。