書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

働く事ってそんなに苦痛な事なのか

なんで仕事してるのと言われたら、お金を稼ぐため。生きるのにお金が必要だから、仕事をしている。でもある時期から「楽しく生きるため」という目的も出てきて、離れていたその二つの位置付けが、年々縮まってきた。

まだお金の方が上だけど、その直ぐ後ろを見たら、楽しく生きるためというのがピッタリついてる。若い時は勿論、未だに肉体的、精神的にもしんどい思いをするし、後々まで尾を引くような嫌な事だってある。でもそれ込みでも、仕事が楽しい。若い時は嫌で嫌でしょうがなかったのに、随分変わったなと自分でも思う。

 

仕事を楽しいと思えてるのは、仕事を通して社会と接することが出来ていると実感できるから。今の仕事が合ってて成果も出し、ある程度認められているという事もある。でもそういう事とは別で、年々その実感も増してきているから。社会の参加者として、仕事を通して参加できているという事に、嬉しさとワクワクを感じてしまう。

 

仕事を通して世の中に接してるのと、そうでないのは大きく違う。

 

子供や学生さんは、将来、思う存分能力を発揮するため、いろんな経験にまみれておいて欲しいと思うし、高齢者の方は、今迄参加者として必死だったんだからゆっくりして頂きたいと思う。肉体的、精神的にハンデキャップを抱えてる人もいるだろうし、休職中、求職中の人だっている。そういう人も勿論社会の参加者だし、否定したりする気は微塵も無い。寧ろ、そういう人たちを仕事を通して支えることが出来る事に、喜びと誇りも感じる。

 

仕事で社会に接することが出来ない人がいる以上、出来る自分は恵まれている。だからこそ、今やってる仕事も納得のいくまでやりたいし、成果にこだわりたいし、就業時間に関わらず、好きに仕事をしていたい。そういう仕事をしてると楽しい。

 

ものの本を読んでたら、どんどん今ある仕事は機械やIT化、AI化で無くなっていくと言われてる。食うために働く必要が無くなり、その分スポーツやエンターテイメントのような娯楽的なものが仕事になると言われてるけど、それでも絶対的な仕事の数は減っていくかもしれない。そんな世になった時に、みんな喜んで何もしなくなるんだろうか。

必要に迫られてじゃなく、望んで仕事をやるような世の中になるんじゃないか。働かなくても生きていける世の中なのに、仕事を取り合ったり、下手したら給料をもらうんじゃなくて、お金出してでも仕事をするような世の中になるのかもしれない。馬鹿らしいようで、結構そうなりそうな気がする。

 

少なくとも自分は死ぬまで働いていたい。死ぬまで仕事を通して社会と接していたい。

そして何時かそんな時代になったら、お金を払ってじゃなく、お金をもらえるような立場でいたいなとは思う。