自分が理解している自分が、自分の「すべて」と誤解しがちだけどそうじゃない。自分が理解している自分と、「他者の鏡越しに映る自分」を合わせた自分が本当の自分。油断してると、これを忘れそうになる。
鏡に映された自分は、理解していた筈の自分とちょっと違う。自分が狙った反応と比べて、良い方に違う時も、悪い方に違う時もある。相手によって鏡も違って、人の数だけ違う。都度、「こういう感じで捉えられてるのね」と思い知らされる。
変えないといけない事が隠れていたり、伝え方が間違っていたと気が付いたりもする。
逆に、思い狙った映り方をしていなかったとしても、ここは曲げれない、変えれないと腹を括る時もある。
映った自分を見て、変えるところは変えたらいいし、変えれないのならそのまま貫けばいいだけ。
鈍感になろうと思えば幾らでもなれるし、スルーも出来る。自分が理解してる自分だけに乗っかって生きる人もいる。そんな生き方も悪い生き方だとは思わない。
ただ一人で生きるなら別だけど、社会に溶けて生きていく以上、他人の鏡越しに映る自分こそ、現実の世の中の自分であって、これを無視するのは危ういように思う。
大事なのは、他者の鏡越しに映る自分を見ようとすること。
相手から、世から、どう自分というものが映っているのか知ろうとすること。
知った上で、そのままなのか、変えるのかを、主体的に決めること。
他者の鏡越しに映る自分から目を逸らさず、次の感情や行動に生かす。
それが世の中で生きるということなのかなと思う。