共感されることには、麻薬のような魅力がある。
共感を得たいというのは、麻薬を求めるようなもの。
自分の望むことをやって生きた結果、共感を得られるなら、それは脳内麻薬のようなものであって、これこそが理想。
対して他人に共感されることを狙ってわざと何かをやったり、生き方をおもねることは、自ら麻薬を打つようなもの。
麻痺していって、次から次へと「麻薬」を打ち、自分の人生、主体性をなくしていく。
共感を得たいと思う事を否定はしないし、俺だって共感を得たい。
でも共感は麻薬で、これ自体、得られることを目標に動くと自分を蝕む。
共感を最初から狙わない、求めない。
共感の呪縛から逃れたら、だいぶ人生楽になる。
そしてそんな人生こそが、共感を得られるんだと思う。