3万円の組み立て式のラジコンが欲しくなった。
色々調べ、関連するYouTubeを何回も何回も見て、これは面白そうと買うと決める。実際に模型屋に行って、唯一1個しか在庫の無かったそれをじっと見る。手に取って、重みを感じながら、パッケージをじっと見る。
ホンマに買うか?
組み上げる時間と、セットアップの時間取れる?
走らせる場所も決めてるけど、そこに行く時間取れる?
いや、時間なんて何とかなるやろ。
コツコツスキマ時間で組めばいいやん。
走らせる暇が無かったら飾っとくだけでも・・・
みたいな葛藤を抱えながら、深夜12時近く、行きつけの模型屋さんで、ずっしり重いラジコンキットを、ずっと両手で抱えて眺めてた。後でスマホで見たら15分経ってた。15分ずっと同じ姿勢、微動だにしてなかったと思う。食い入る様に眺めるその15分は、もう無茶苦茶短く感じるもので、自分では精々3分位の感覚だった。15分とは思えないぐらいの15分の間、葛藤と悩みにまみれた。まだ買ってない、自分の物でもないラジコンのキットが、この15分間は物理的にも精神的にも俺のものになっていた。
家を出る前は買うと決めたのに、モニターの中では無く、物理的に存在してるその現物と相対し、触って重みを身体で感じたら、想像以上のリアル感に襲われた。モニター越しでは、イメージの中にいたそれが、今、重みと感触を伴って自分の手の中にある、圧倒的な感覚をなんといっていいのかわからない。
モニター越しに見てる時は、3万円という金額に見合うかという、お金が上の立場、値踏みする立場にいたけど、現物のその「物」を目の前にし、重みを感じたらそんなのは吹き飛んだ。
3万でも5万でも10万でも、お金の話はどうでもよくなって、ただこのラジコンキットを自分の物にするのかどうか、自分の「内側」に入れるかどうかの話に変わった。そんな葛藤を、深夜の模型屋で頭がおかしくなる位、15分間の中で巡り巡らせた。
結局昨日は買わなかった。買うにあたって、最後の「一押し」がなかった。そよ風でもいい、一押しが昨日は無かった。自分でも意外な感じで、我が事なのに、駐車場に停めてある車に向かってる途中、上から俯瞰して見て、「あれ?今日買わないの?なんで?」みたいな感じだった。
でもプロレスラーのタックルでも、アリの体当たりでもなんでもいいんだけど、「一押し」が無かったんだから、そんなもんなのかなと思った。買う時にはその何かの「一押し」が俺には必要。理屈じゃない、「一押し」が必要なのも改めて痛感した。
やっぱりここぞという時には、現物を直接見て、触って、持って、何かが一押ししてくれて、それを買ってる。高い安いとかはあまり関係ない。
買い物って、やっぱり全身を使って体験する行為なんだと思う。
買い物はドラマと運とめぐり合わせ。