書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

言葉のチューニング

 

 

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人と人はTalkの話も、Writeの書きも「言葉」でしかわかりあえない。気持ちを伝えるには、言葉にして伝えるしか無い。

 

握手したり、ハグしたり、時には無視をしてでも気持ちを伝える事があるけど、それは前後にちゃんと言葉を使った、意思の疎通があった上での話。だからやっぱり言葉でしかわかりあえない。 言葉をどう上手く伝えるかが、人生の生きやすさを変える。

 

その時の状況や感情をどの言葉に乗せるか。どの言葉をチョイスするのか。分母としての語彙力と、相手と状況に合わせて、どの言葉を選ぶのかと言うセンスの力が必要。

 

人によって、その言葉のニュアンスや重みは違う。生まれも育ちも違うから、意味が微妙に違う。なにも弄らず、100%両者で同じ意味の言葉は無い。「おもしろい」一つとっても、此方の思う「おもしろい」とあちらの持つ「おもしろい」の意味合いは違う。その些細な違いが、案外後で大きなズレになる事がある。だから相手と同じ意味合いを持つよう、自分の言葉を相手に合わせてチューニングして投げないといけない。

 

ちょうどいい塩梅のチューニングが出来るセンスと、チューニングした結果、お互いぴったり合う、共通の言葉をどれだけ多く持てるかが、気持ちを伝えるにあたって勝負になる。

 

会話の最中、キーになりそうな言葉を見つけて、その言葉が同じ意味合いになるよう、上手くごまかしながらチューニングして探っていく。チューニングした結果、幾つかの言葉がお互いの「共通語」になっていって、この言葉の意味や解釈がこうなら、この言葉の意味や解釈もこうかなと想像が付いてくるし、その精度が段々上がっていく。

 

そうやって仲良くなっていって、深い話が出来るようになる。年を取って良かったと思う事の一つは、こういうチューニングする事に対する、ぼやかしとごまかしが、若い時と比べて多少上手くなったと思えること。中にはチューニングが中々合わなかったり、チューニングの前、そもそもその言葉の意味合いがあまりにも違い過ぎて、煩わしく感じる時もあるけど、その人と合う合わないって、こういう事なのかと思う。

 

あの人と俺の間の「おもしろい」は、既に「共通語」になってるのか、まだまだチューニングの最中にあるのか、それを知るのが課題。