書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

時間に耐えうる文章

20年ぐらい前、何人かのブログにハマっていて、更新を楽しみにしていた時期があった。楽しく読ませて頂きながら、何を食べて呑んで頭を鍛えたら、こんな面白い文章を捻りだせるんだろうと思っていたし、自分も何時かそんな文章を書けたらと憧れてもいた。

 

楽しませてくれた大切な思い出として、当時のブックマークはずっと残している。閉鎖してNot Foundになっているブログも多いし、残っていても、良くて10年ぐらい前に更新が止まっている。当時好きで追いかけていたブログで、現役で更新されているものは1つも無い。後年になるほど、閲覧数が減っていっているブログが殆どで、中の人も読者も飽きて自然消滅したり、どちらかに続ける情熱があったとしても、もう片方がそれに応えられないような経緯を辿ったんだろう。

 

極たまに、懐かしさでそんな楽しませてくれたブログを見返す時がある。

でもハッキリ言って全然面白くない。

 

あの時、あれほど楽しませてくれたブログと、その中の人に失礼千万。でも、なんであの時あんなにこの文章が面白いと思ったんだろうと、不思議に思うぐらい、今となっては面白くない。

読み込んでいったら、確かに読んだ事を覚えているし、何処で笑ったのか、何処が印象に残ったのかだって覚えているし、心に引っかかった表現も覚えている。それは覚えているのに、見返して面白くない。それはオチが分かっているからとか、何度も見返したからという理由ではないと思う。

あの時、面白かった、素晴らしい文章だったのは間違いない。

ただ自分の中の時間に耐えることが出来なかった。

 

そんな中、1つだけ、今見返しても面白い文章が書いてあるブログがある。

今となっては面白くないブログと同じように、読んだ記憶もあるし、笑った、印象に残った、心に引っかかった個所もわかっている。そのブログだけは、その笑った、印象に残った、引っかかった個所で、今でも同じように笑えるし、印象に残るし、心に引っかかる。

今でも面白い。10年前に更新が停まっていて、もう何十回と最初の投稿から最後の投稿迄読んだはずなのに面白い。更新を楽しみに待って、その都度食い入るように読んだ文章が、その当時とほぼ同じような感情で読めてしまう。

 

この差って何なんだろう。

と、ずーっと思っていたある日、偶然、あるネットの記事でその今でも面白いブログの「中の人」が、ライターで食べているという事を知った。あるニッチな分野の雑誌で、何とか食べれる位のライターとして活躍されているらしい。

当時俺が追いかけていたブログの中の人が、何処かで今でも書く事で活躍してるかどうかはわからない。でも、少なくとも俺が今でも面白いと思える人は、文章のプロになっていた。

 

読んだその瞬間、面白い文章は沢山あるし、そういう文章を書く中の人に楽しませてもらえている。人を面白がらせる文章を書けるのは、とても凄い才能だと思う。

でも月日が経っても、時間を空けて何回も読み返しても、やっぱり面白いと思える文章、時間に耐えうる文章を書けるのは、更にまた特別な才能なのかもしれない。

 

文章のプロになりたいと思った事は一度も無いけど、ずっと残る、時間に耐えうる文章を書いてみたい。何時か必ず書く。