書くことは娯楽

内省持ち。何時も何か考えてます。会話でなく対話が好き、何時も誰かと対話していたい。内省と対話の結果、自分の中で出来た何かを言語化して残します。プロサラリーマン、プロ営業。バイクとビール好き。

8割と2割へ

先日、卒業式に参加した。生徒代表のスピーチをしたり、代表で卒業証書を受け取ったり、記念品を受け取ったり渡したりする奴は、大抵リア充っぽい子。なんかそんな子が2割ぐらいで、あとの8割は良くも悪くも普通。テレビドラマやニュースのインタビューなんかで見る、同年代と比べると大人しく幼く見える。でも、世の中の本当はそんなもんなんだろう。

そんなリア充な2割は兎も角、残りの8割位の子供は、流れとしてここにいて、明日から違う日が、また自動的に始まるということを感じているだけ。それは何十年も前、自分もその8割の1人だったからよくわかる。何も感じないは嘘だけど、それでも親やTVが煽る様な感慨深いものなんてなかった。誰もがみんなそんなドラマチックな訳じゃない。

 

卒業というのは多分後になってその意味を知る。年をとってしばらく経ってから、あの時の一つの区切りの意味に気が付く。気が付くというか意味を作る。

卒業式とは、「後で自分の適当な時期に、その区切りの意味を持たせなさい」と言う、大人からの投げかけなんじゃないだろうか。そんなただの区切りとして設けた卒業式にどういう意味を持たせるかは、その後どう生きたかだけ。

あの時は辛かったけど、あの経験があったから今はこう生きているとか、あの時何も考えていなかったようで、今の自分たる土台の一部を作っていたとか、今の状態を思えば、あの時もっと真剣になっていたらと後悔したりもする。後で振り返って、卒業の意味を自分なりに見出し、自覚をしている気がする。

 

その人その人によって、卒業に対する捉え方もタイミングも違う筈。別に皆で一斉に卒業式をする必要なんてないと思っていた。自分で卒業したと感じたら、その時に受け入れたらいいだけと思っていた。でもこういった形で、皆同じタイミングで、とりあえずの区切りを付けるのもいいのかもしれない。その時に意味がなくても、後で意味を作るとするなら、同じ日に皆で卒業するのでいいんじゃないのかと、今回参加して初めて思った。

 

2割のリア充くん、リア充さん、そのまま進学先就職先で、できるのであればどうぞリア充人生貫いてください。そしてずっとリア充路線でいけるなんて、人生そう甘くないことを知って下さい。恐らく大半の人が、今までのようなリア充ではいられないでしょうけど、「ずっとリア充」という、漫画やドラマの主人公のような、キラキラしたひと握りの頂点に挑戦する権利が君たちにはあります。プライドと意地を見せてやって。

8割の大多数の諸君。楽しかったし辛い時もあったでしょう。誰かに自慢できる、人にドヤ顔で語れるエピソードなんて、一つもないかもしれない。テストでは真ん中、体育祭でもリレーに出てない。自転車の2人乗りに殺意の目を向けていたことでしょう。でも、大丈夫。あなた達の生き方が世の中の大多数です。個性的でいろ、オリジナルを詰めろ、ピンで目立てと、とかく言われる今の世の中ですが、大多数の同じでいる事が悪い訳ではありません。その個性やオリジナルを生み出すのは、大多数の普通からです、あなた達は、今密かに牙を磨いているだけです。自分でも気が付かずに磨いています。進学先就職先での突然変異を期待しましょう。そしてその突然変異は、案外簡単に起こったりもするものです。2割の元リア充どもを従えることも、割と普通にあることなので頑張れ。

 

8割も2割も卒業おめでとう。